研究員の論文
太平洋島嶼国における国家・個人・人権

 
         −パシフィック・ウェイ(Pacific Way)からの問いかけ
 
 
苫小牧駒沢大学 国際文化学部教授
東  裕(ひがし ゆたか)
初出:『憲法研究』(憲法学会)第37号、平成17(2005)年6月



はじめに
 
 一般に人権を論じるときに、当然の前提とされているようにみえる国家と個人、すなわち西欧近代的意味での国民国家や個人は、はたして普遍的なものといえるのだろうか。そしてまた、人権そのものも。ここで普遍的とは、「普遍的である」ということと「普遍的であるべきだ」という、存在と当為の両義において、である。このような人権に対する無知ともとられかねない疑問をあえて提起するのは、すでに小林昭三早稲田大学名誉教授によって、次のような問題提起がなされているからである(1)。
  1)人権の条件を無視した人権論は不毛である。ここにいう人権の条件とは、先進
    国が人権を宣言し、充実させ得たときの条件、すなわち経済的条件を無視して
    はならない。
  2)人権の前提にある人間観に疑問がある。原子的個人から出発する考え方の無理
    あるいは行きすぎが「人間性」喪失を生む。
  3)人権理念を生み出し、人権の普遍を支えた西洋近代的の事情、西洋の風土、精
    神的土壌との関わりへ注目する必要がある。風土の違いに根ざす文明観・人間
    観の違いに見合う人権の可能性を考えることが必要である。
 小林教授の問題提起は、アジア諸国の憲法研究から導き出されたものであるが、ここには「人権の普遍性」への根源的な批判が込められている。人権の前提にあるもの・人権の条件を問うことによって、いわゆる人権理念を西洋近代の産物として相対化し、そのうえで人権思想に含まれる基本的な考え方を「共通了解事項」としつつ、国際社会を構成するさまざまな文化圏に属する諸国の、それぞれの事情に見合った人権のあり方を考えいくべきではないか……、という問いかけである。
 「現在における人権のありよう」を考えるとき、このような視点は多くの批判を免れない。「人権の普遍性」(人権は普遍的であるということ・人権は普遍的であるべきだということ)を疑うこと自体、人権(思想)を否定するものであるとの短絡的な思考や、発展
途上国の人権保障が十分でない現状を容認し肯定する国家中心主義的思考である、といった批判がくることは容易に想像できよう。しかしながら、今日、人権思想が普及し人権保障の拡大した国々において、その弊害とみなさざるを得ないようなさまざまな政治的・社会的病理現象が発生していることは周知の事実である。
 そこで、小林教授の問題提起を受けて、それをオセアニア地域(ここでは太平洋島嶼地域)に適用した場合、どのような議論が成り立つか。すなわち、「人権に対するオセアニア的精神風土からの問いかけ」を試みたとき、人権の普遍性に対してどのような問題提起が可能であるか。こんにち地球上にある国家の中に、太平洋島嶼国と呼ばれる発展途上の極小国家群がある。この国々での国家と個人はどのように捉えられ、そこでは人権はどのように観念されているのか。太平洋流(Pacific Way)人権論という視座を設定し、国家と個人の関係を問い直し、人権を考察するものである。
 オセアニアにおける人権の条件(経済的・社会的・政治的・自然風土的……)は何か、オセアニアにおける人間観は……、といった問いかけから、「人権の普遍性」という観念を検証していく。
 
1.太平洋島嶼国という国家
 
 太平洋島嶼国と呼ばれる国家群に共通する特徴を整理し、いわゆる人権論が前提としている西洋近代国家との異同を考えてみたい。ここで太平洋島嶼国と呼ばれる国家群とは、パラオ共和国・ミクロネシア連邦・マーシャル諸島共和国・ナウル共和国・キリバス共和国・パプアニューギニア・ソロモン諸島共和国・バヌアツ共和国・フィジー諸島共和国・ツバル共和国・サモア独立国・トンガ王国の12の独立国を指す。パプアニューギニア(人口約560万人)を除く11か国は、すべて人口100万人に満たない極小島嶼国である(2)。パラオ(1万9千人)・ナウル(1万6千人)ツバル(1万人)に至っては、そのスケールはわが国の町村レベルの人口規模である。それでも、すべての国が成文憲法をもち、独立国家として国連への加盟も果たしているのである。こうした国々にとって、国家とはなにかということが、まず問われなければならない。  
 これらの国々に共通する特徴の一つは、植民地経験を経て、1960年代以降に独立国となったことである。そしてその独立は、植民地側が望んだ独立というよりも、宗主国の事情が優先した独立であった。独立に至る過程で形成されるべき国家意識・政治意識・経済的条件等が整わない段階で、独立国へと移行したのである。むしろ独立させられたといった色彩が強く、その意味で、「仕向けられた独立」と呼ばれることもある(3)。独立に至る過程で宗主国との間で闘争があったわけではなく、きわめて穏やかに独立国家への移行が完了したため、この穏やかな移行過程が、パシフィック・ウェイ(Pacific Wayとして語られ、太平洋島嶼国の政治文化を特徴づけるものとなっている(4)。
 今日国際化社会の進展とともに、国民国家(または独立主権国家)という国家の枠組みはもはや時代遅れであり、早晩こうした枠組みは消滅すべき運命にあるかのように語られることがある。しかしながら、このような議論はEUなどにおいてはいざ知らず、いまだ国民国家形成の途上にある太平洋島嶼国については、その完成を待たずして太平洋島嶼国の真の独立はありえないのである。今日の太平洋島嶼国の多くは、法的な意味での独立を果たしていても、政治的・経済的意味での独立は達成されているとは言い難い状態にある。そもそも、太平洋島嶼国において政治的意味・経済的意味での完全な独立がありうるのかという疑問はひとまずおくとして、内政・外交面での自律と経済・財政面での自立という観点からは、程度の差はあれ、依然として「従属国家」に甘んじていることは否定できない。
 また、国内における国民統合の状況に目を向けるとき、部族や地域(島や州など)といった単位でのアイデンティティをつよくもち、国民としてのアイデンティティが十分に形成されていない国家(パプアニューギニア・ソロモン諸島など)も見られる。そのような国家においては、当然のことながら、国家としての統合も緩やかで、独立を志向する地域を抱えた国家も見られる。このように、現在の国家の枠組みをさらに強化しようとする動きと、それとは逆のように見える一部の既存国家からの分離独立の動きがあるが、いずれも国民国家を志向する点では共通しているのである。国民国家という枠組みを形成することが、そこに居住する人々の生活の向上と伝統文化の保持をよりよく保障するのである。すなわち、国家という防壁を持つことによって、政治的には「大国」からの過度の干渉を排除する一方で、経済的・社会的には発展の原資ともいえる「援助」の客体としての地位を獲得できるのである。
 以上のような国家を前提として人権を、そして個人を考えるとき、われわれが暗黙の前提としている国家観は、通用しないのである。
 
2.共同体の中の個人
 
 太平洋島嶼国においては、西洋社会で発達したような個人ないしは個人主義の観念が極めて希薄である。人々は村落共同体の中に生まれ、その中で生涯を終える生活形態が形成されてきた。「小さな島の限られた資源の中で、みながそれを分かち合いながら生きていく」(5)生活である。島嶼という環境の中で、生存の必要からはぐくまれた生き方である。
 限られた資源(=とりわけ土地)を共同で利用し、そこから得られる生存に必要な食料(=イモ類やヤシなどの農作物及び水産物)を共同体の成員に配分する相互扶助システムが村落共同体の基本であった。太平洋島嶼地域にひろく見られる酋長制も、この相互扶助システムの文脈の中で位置づけられるものであり、それは決して一方的な搾取・収奪のシステムではなかった。共同体の成員の誰もが生きられるよう、土地や食料を配分する役割を持つのが酋長の責務であった。酋長制の階層システムは、共同体の存続に必要な秩序を形成し、その秩序によって構成員の生活が保障された。いうなれば、酋長は共同体の成員の生存権を保障する責務を負っていたのである。当然のことながら、そこには酋長と下位の成員との間の対立はなく、酋長への信頼と敬意が基調にあった。
 また、その伝統的居住形態も、個人や個人主義を育てた西洋の住居とはかけ離れたものであった。大家族が一つ屋根の下に暮らし、その屋根の下にはそれを支える柱と床があるだけで、部屋の間仕切りはおろか、壁さえない住居で生活する地域(サモア・キリバス)もあった。そのような生活形態は過去のものではなく、いまでもそれらの地域において見られるところである。もちろん、これらの国々においても近代化の進展とともに壁や部屋のある住居も一般化しているが、その一方で伝統的な住居もまたその脇に残され、今も利用されているのを見ることが出来る。サモアやキリバスほどではないにしても、およそ太平洋島嶼地域においては居住形態そのものが個人及び個人主義の意識を養うには程遠いものがある。大家族を基本とし、村落共同体の中で相互扶助を基調として生活する人々にとっては、「個人」として存在することは、むしろ精神の不安定をもたらすものとなる。共同体の人々とのつながりの中にあってはじめて、安定した自己を維持できるのである。
 こうした共同体を紐帯とした人的ネットワークは、出身共同体を離れても維持される。その顕著な例が、パプアニューギニアやソロモン諸島に見られるワントク(6)のつながりである。ワントクは、もともと共通の土着言語・土着文化を持つ地域共同体を意味する概念であるが、今日では都市部における同じ部族出身者だけでなく、同じ州の出身者の同郷意識に基づく団結や相互扶助もこの言葉で語られるようになっている。これが政治や行政に浸透しているところでは、能力による人材登用ではなく、出身部族・出身地・出身校による情実人事がおこなわれ、ネポティズムとして批判されることにもなる。
 このように、太平洋島嶼国においては、個人及び個人主義を培う土壌が伝統的に存在せず、今もその状況はさほど大きく変わってはいない。人と人が相互扶助を基調として生きるところに精神の安定を見出すのが太平洋島嶼人なのである。自他の領域をはっきりと区別して他者との競争を基調とするような社会とはかけ離れた社会があり、原子的個人とは違った個人観がある。原子というよりも、つねに家族や共同体とつながった有機体の一部として個人が存在するのである。
 
3.国家と個人の関係
 
 太平洋島嶼国における国家と個人の関係は、どうのようなものであろうか。すでに述べたように、太平洋島嶼国においては、国家はいまだ形成途上にあるにあるといっても間違いではない。憲法を制定して独立を達成し、国連加盟を果たしても、われわれが憲法学において国家と個人の関係を考えるときに当然の前提としているような国家は、ここには存在しないのである。
 「国民主権」の規定が太平洋島嶼国の憲法に見られないのは、その多くが英連邦からの独立であるという理由だけではないのかもしれない(7)。独立時に個人の権利や自由を抑圧するほどの国家(機構)は存在しなかった。そのため国家と個人を対立的に捉える思考法は、ここでは無意味である。これもすでに述べたように、独立自体が宗主国側の都合による「強いられたもの」といわれるほど、国家としての独立を植民地下の住民が切望したわけでもなく、国際社会の脱植民地化の流れの中で、宗主国にとってむしろ負担になるがゆえに独立させた、という事情があったのである。
 国家としての準備が十分に整わないまま独立した太平洋島嶼国においては、独立を以って国づくりがスタートしたのである。そのため、十分な統治能力を備えた政府形成すらいまだに達成できず、破綻国家の様相を呈しているソロモン諸島のような例すらみられる。
フランス人権宣言は、「人及び市民の権利保障は、公の武力を必要とする」(12条)として、国民の権利保障の前提として武力の必要性を掲げることで、国家の安全と治安の確保が人権保障の前提であることを示唆する。このことは、ソロモン諸島のような破綻に瀕した国家における人権状況や、そこまでには至らなくとも治安の悪化が恒常化しているパプアニューギニアにおいては、現実の切実な問題として存在するのである。国家が人権を侵害するのではなく、治安を維持するに足る警察力がないために私人間の闘争により、個人の人権(=生命・財産)が侵害されるという、リバイアサン的状況が現実にある。
 それほど極端な場合でないにしても、国家が個人の人権を侵害する第一の主体であり、憲法は人権保障のための権力制限規範であるという考え方は、そもそも希薄である。そのことをあえて憲法に規定したものとして、フィジー諸島の1997年憲法の例が挙げられるが、あえてこのような規定をおくところに、近代憲法概念がいまだこの国において借り物であることを示唆している。
 個々人のアイデンティティーの面からみても、多くの島嶼国においては、その国土の離隔性に由来する地域共同体中心の生活形態の中から形成された、家族・親族・村落・出身地域・州といったレベルでのアイデンティティーが日常的で、国民としてのアイデンティティーは概して希薄である。換言するなら、まだ個々人の中に国家意識が十分に形成されていないということであり、国民国家形成の途次にあるといってもいい段階にあるということである。そのため、むしろ国家(政府)が、個々人の中に国家意識や国民意識を育成する役割を担うことになる。そして、その手段として憲法典が利用されることになる。
 憲法を制定し独立国家となることによって、伝統的な酋長制の共同体生活は徐々に浸食され、近代的な政治・行政機構の中で権力を持つものに現実の支配権は移行して、伝統的首長制の支配権や権威の低下が広くみられるようになる。一方、自給自足型経済から商品経済への移行に伴い、伝統的共同体の中の個人から原子的個人に向けて移行が始まるが、共同体を離れた都市生活においても共同体との繋がりがなくなることはなかった。ワントクを典型とする、地域共同体の紐帯は都市生活においても維持され、経済的・社会的活動における相互扶助システムが機能しつづけている。こうした紐帯を切断していくことが、本来の人権の担い手たる個人(=市民)の創出へと繋がることであろうが、その過程はまだその緒についたばかり、という現実がある。したがって、国家と個人の対立を基本とした憲法による人権保障の考え方は、太平洋島嶼国の歴史とも現実とも無縁のものといっても過言ではない。
 
4.人権と伝統的権利 
 太平洋島嶼国の憲法にみられる一般的な特徴は、近代憲法に不可欠とされる権利章典がおかれている一方で、伝統的な固有の権利の保障について規定がおかれている点にある。その典型として、フィジー諸島共和国憲法(1997年)の例を紹介する(8)。
 
 (1)権利章典
 この憲法は、第4章「権利章典」(Bill of Rights)として23ヵ条の条文をおく。まず、権利章典の冒頭の第21条で、憲法に権利章典を定めることの意義が説明される。すなわち、憲法に権利章典をおくことは、権利章典によって公権力を制限し、以て人権保障に資するものであることが掲げられている(21条)。これはまさに憲法というものの存在理由・近代憲法の基本原則を明示したものであり、憲法とは何であるかを国民に知らせるための啓蒙的な意味を持っているといえる。そして、当然ながら、このような原則の根底には、公権力を行使するものこそ個人の生来の権利自由を侵害する最大の脅威である、とする考え方があることを国民に教育することにもなる。このことは多かれ少なかれ妥当する普遍的な法則といっていいが、過去に絶対的専制政治を経験した国家ではともかく、太平洋島嶼国においてはイデオロギー的な意味にとどまるものである。なぜなら、これまで国民を絶対的に支配する力を持った国家が歴史上経験したことがないからである(但し、トンガ王国については検討の余地がある)。
 その意味で、太平洋島嶼国において、憲法典は人権保障という意味での国民の切実な必要からおかれたものではない「名目論的憲法」(レーヴェンシュタイン)である。それではなんのために憲法典が必要であったかといえば、それは独立のため、であった。およそ国家として備えていなければならない基本法・最高法規たる憲法を制定することによって独立国家としての体裁を整えることに最大の意味があった。そしてその必要は、旧宗主国側の必要でもあった。とするならば、太平洋島嶼国における憲法制定は、島嶼国側にとっては旧宗主国の干渉を排除するための、そして宗主国にとっては植民地経営の負担を回避するための法規範の制定であったといえるかもしれない。
 次に、このフィジー諸島共和国憲法は、第22条以下で個別的権利を保障している。すなわち、身体の自由(22条)・個人の自由(23条)・苦役と強制労働からの自由(24条)・残虐または不当な扱いからの自由(25条)・不当な捜索及び押収からの自由(26条)・被疑者の権利(27条)・被告人の権利(28条)・裁判をうける権利(29条)・表現の自由(30条)・集会の自由(31条)・結社の自由(32条)・労働者の権利(33条)・移転の自由(34条)・宗教及び信条の自由(35条)・投票の秘密(36条)・プライバシーの権利(37条)・平等権(38条)・教育を受ける権利(39条)・財産権の保障(40条)の19項目である。
 このように、現代国家に一般にみられる各種人権規定が網羅されている。この点では、特徴といえるものはないが、権利・自由の制限理由として「公共の利益」に配慮されている点で特徴的である。すなわち、「国家の安全」(national security)・「公共の安全」(public safety)・「公共の秩序」(public order)・「公共の道徳」(public morality)・「公衆衛生」(public health)、「国家もしくは地方自治体の秩序だった選挙のため」、「他者の権利自由を守るため」など文言が、権利・自由の制限事由として掲げられている。もちろん、その制限は「自由で民主的な社会において合理的で正当(reasonable and justifiable)とされる範囲」で、という但し書きが付く(9)。
 
(2)伝統的権利の保護
 伝統的権利とは、原住民の権利のことであり、これらの権利の方が、むしろ国民のうちの多数を占める原住民国民の生活にとって不可欠の権利といえる。フィジー諸島共和国憲法(1997年)は、第5章「社会正義」(Social Justice )として1条、第13章「集団の権利」(Group Rights)として2ヵ条の規定を置いている。
 まず、第一に、第5章「社会正義」では、具体的には積極的格差是正のための立法を国会に義務づけている。すなわち、「社会正義と積極的格差是正措置」(social justice and affirmative action)として、 不利な地位に置かれている人々(=原住民)に対し、一定の領域(=教育と訓練・土地と住宅・商業活動と国家サービス)に実効的にアクセスできるようにするためのプログラムを定める法律の制定を国会に義務付ける。
 次に、「集団の権利」(group rights)として、原住民の集団の土地所有権を中心とする権利の保護が図られている。すなわち、慣習法及び慣習上の権利にかかわる立法を国会が行なう際には、原住民の慣習・伝統・慣行・価値・希望を考慮することを、国会に義務付けている。
 以上、二点は、原住民系フィジー人とインド系フィジー人の二大民族集団で人口がほぼ二分されているフィジー諸島において、原住民系フィジー人の利益保護を目的とした規定である。インド系フィジー人は経済活動の分野で原住民系フィジー人を凌駕し、政治面でも原住民系フィジー人と拮抗する勢力を有している。19世紀末から20世紀初頭にかけてサトウキビプランテーションにおける契約労働者としてフィジーに来島し、その後、定住の道を選び今日に至ったインド系フィジー人にとって、経済力を蓄積しても土地所有がかなわないことが最大の不満の一つとしてある。権利章典に定める財産権の保障の延長線上には、所有権についての平等な保障があってしかるべきである。同じ国民でありながら、土地を所有できるものと出来ないものがいることは、平等権にも反する状態といえよう。しかしながら、その一方で、伝統的な土地保有形態が崩され、土地がその他の財物同様に自由な売買や個人所有の対象となり流動化することは、経済的劣位にある原住民系フィジー人にとって、その伝統文化と生活基盤を脅かす脅威ともなる(10)。
 このような現実に鑑み、一方で近代憲法に普遍的な権利章典を置きながら、他方で国民の中の半数強を占める原住民の主として経済的地位の向上と伝統的権利保障を、例外的に認める規定を憲法においているのである。この発想もインド系フィジー人と原住民系フィジー人の共存を実現しようとする共生と相互依存の思想といえ、その意味では伝統的な太平洋島嶼国のパシフィック・ウェイの憲法的表現と理解することが出来る。
 そのことは、両者の利害関係の対立の調整方法において明確に現れている。すなわち、異なったコミュニティー間に利害対立が発生したときは、関係政党による合意形成に向けた誠実な交渉によって解決することが、憲法原則として定められているのである。「合意形成に向けた誠実な交渉」(第6条)とは、まさしくパシフィック・ウェイの現れなのである。多数決によるのではなく合意の形成を、そして合意に至るまで誠実に交渉を重ねること。これは、太平洋島嶼国の政治文化の一つとして、つとに指摘されているところである(11)。こうして、人権と伝統的権利が、矛盾をはらみつつも憲法で保障され、その対立調整は法的解決によるのではなく、政治的解決の道をとることを憲法みずから要求しているのである。
 人権保障が伝統的権利と並記されていること、両者の調整が話し合いによってなされることを憲法は予定していること。この二つがフィジー諸島共和国憲法の人権保障の特徴であることを示した。前者については、太平洋島嶼国に一般化できるが、後者についてはどうであろうか。フィジー諸島共和国以外の国々については、複合民族国家的状況は存在しないため、憲法上の明文の規定として、フィジー諸島共和国憲法のような利害調整の原則が置かれていない。しかし、このことは逆に複合民族国家状況にないところでは政治文化として国民に共有されているため、あえて明文の規定を置くまでもないからと考えられる。
 
5.人権保障の意味
 
 太平洋島嶼国憲法における人権保障は、たんに名目的なもの、すなわち絵に描いた餅にとどまるのであろうか。「名目論的憲法は、国民の身体がそれに合うまでに大きくなったときに身につけられるのを待ちつつ、当分箪笥の中に納められている衣服のようなものである」(12)というレーベンシュタインの言葉はよく知られるところであるが、同時に次のような指摘があることを想起する必要があろう。
  「名目論的憲法が意味するものは、所与の社会的・経済的諸条件−政治的な教育や訓 練の欠如、独立の中産階級の不存在などの要因−が、現在の時点においては、憲法規範 と権力過程の要請との完全な一致にさからっているということである。憲法の諸規範が 政治生活の動態にとけこみ一体化することを事態が許さない、あるいはまだ許していな いのである。おそらくは、どのようなものであれそもそも憲法を採択しようとした、あ るいはこの種の憲法を採択しようとした政治的根本決定が、時期尚早であったのである。 しかし、権力保持者と権力名宛人の善意に支えられて、権力過程の現実が、早晩、憲法 に描かれたモデルに照応したものになるであろうという希望は残されているわけであ  る。」(13)
  「名目論的憲法の第一次的な機能は、教育的なものである。つまりこの種の憲法の目 的は、近い将来または遠い将来に、十分規範的なものになり、権力過程の動態に屈する ことなく、逆にそれを支配するに至るということにある。」(14)
 つまり、権力保持者と権力名宛人に対し憲法が教育的な意味を持ち、両者の善意に支えられて、社会的・経済的諸条件の変化につれ、いずれ憲法規範が政治生活の動態を規制する方向に向かい、憲法規範と憲法現実との乖離が解消されていくことが期待されているのである。ここに、名目論的憲法であっても、憲法を持つことの意味があり、憲法において人権保障を行う意味も認められるのである。それだけにとどまるものではない。もう一つ、大きな意味があると考えられるのである。それは、憲法を持つこと、そしてそのなかで人権保障を行うことの対外的意味である。
 ふたたび、レーベンシュタインの言葉を借りれば、「名目論的憲法は、西欧的な民主主義的立憲主義がそれに先行する精神的潜伏期間も政治的成熟もないままに、植民地的なあるいは封建的・農業的な社会秩序へと移植された国々にあらわれるのが普通である」(15)。太平洋島嶼国はここにいう植民地的で農業的な社会秩序へと移植された国々に該当する。先行する精神的潜伏期間も政治的成熟もなかったことは言うまでもない。されに付け加えるなら、西欧的な民主主義的立憲主義に対する内発的な必要もなかったところに移植されたのである。このことは何を意味するかといえば、憲法が保障するような権利・自由等の必要性が国民の側にあったわけではないということである。しかし、国家にとっては憲法を持つことの必要性があった。独立国として認められるためには、近代的な諸制度と人権保障を定めた憲法を制定する必要があったのである。すなわち、独立国家として憲法を掲げることが必須であり、その中で人権を保障することは、対外的に不可欠であった。このことは、太平洋島嶼国だけでなく、植民地から独立を達成した諸国において共通にみられることであるが、とりわけ、植民地下にあっても宗主国による抑圧や搾取をほとんど経験せず、飢餓や内紛、独立運動すらほとんどみられずに独立へと移行した太平洋島嶼国においては強調されてよいだろう。
 では、国内的にみて、例えば、自由権的基本権においては、一般に国民の側に国家からの自由を切実に希求するほどの国家からの抑圧があったというような事実はみられない(最近になって、トンガ王国において表現の自由の制限が問題になっている事例がある)。なかでも財産権の保障については、土地の共同保有に典型的にみられるように、そもそも個人所有の観念が希薄であり、「所有は不可侵かつ神聖な権利」(仏人権宣言17条)というような発想とは無縁であった。
 参政権については、植民地下の議会(立法評議会など)を含めれば、選挙権拡大要求の歴史があったといえなくもないが、選挙権・被選挙権は独立時の憲法によって議会制度と同時に与えられたもので、特に国民が強く求めたものではなかった。現在、参政権の制限は、トンガ王国における貴族議席の選挙権・被選挙権が貴族に限定されている例(16)、およびサモア独立国におけるマタイの称号を持つ者に被選挙権を限定した例(17)がみられる。このうち、トンガについては貴族議席の選挙権を一般国民にも拡大すべきだという声が一部にあるが、サモアにおいてはそのような要求は聞かれない。
 社会権的基本権については、太平洋島嶼国は生存権の保障が問題となるような自然環境にはなく、衣・食・住の面での生活不安はほとんど考えられず、必要とされるのは教育や医療面で国家が積極的な措置をとることであるが、それとても国民の側から積極的に国に要求するという話は耳にしない。国民は、生活の質的向上にもさほど関心がないようで、概して国家に積極的措置を要求する権利があることに無関心であるように見受けられる。ここでも、国家の存在は希薄である。
 このように、人権保障について、国民の側からは強く要求されることはこれまでのところ殆どなく、人権保障の国内的必要性は、現地国民にとっては深刻ではない。しかしながら、先進国の目には異なった現実が映る。太平洋島嶼国のいくつかにみられる人権状況が、国際的な批判の対象となることがある。先に挙げた、トンガとサモアの選挙権・被選挙権の制限はその一例である。そのため、憲法で近代的・現代的な意味での人権保障規定を整備することが、国際社会の視線を意識したところで行われなければならないことになる。いわゆる「人権の普遍性」を承認していることを示さないでは国際社会における地位の低下を招き、場合によっては国際社会からの干渉や経済的不利益を招くもとにもなる。
 
6.太平洋島嶼国社会での「人権」の意義と限界
 
 国家及び個人について、西洋的人権が前提とするそれとは様相を異にする太平洋島嶼国において、人権はどのように把握されるべきであろうか。人権保障の目的が、個人の幸福追求に奉仕し、個人の尊厳を確保することにあるとするなら、そしてそのことが憲法においては国家と個人との関係で考えられるとするなら、異なった国家観・個人観のもとでは、それに相応した人権の把握が考えられるべきであろう。
 太平洋島嶼社会は、相互扶助・共生社会である。個人間の対立・競争を基調とし、個々人がそれぞれの幸福を最大限に追求する社会ではなく、お互いに分かち合い・助け合い・誰も排除しない社会である。このような社会の背景には、土地をはじめとする限られた資源の中で、それを利用しながら生きるほかないという自然環境的制約があった。狭い村落社会の中で生きることで培われてきた相互依存・共生社会である。そこで生きるためには、共同体の成員のそれぞれが、自己の欲望を他者のそれと衝突しないように抑制することが当たり前の生活規範として共有されてきたと考えられる。いわば「人権の内在的制約」が、ことさらに意識されなくとも行なわれている社会が形成されてきたといえよう。人は原子的個人としては生きられず、共同体の中で人と人との繋がりの中でした生きられない。個人の幸福も共同体の人々との繋がりがあって感じられる。これが太平洋島嶼社会なのである。個人主義の価値観は育ちようもない社会、である。
 このような社会の中に、西欧的人権をそのまま移植すると、いったいどのような事態を招くことになるのか。名目論的憲法から、現実の政治過程を規制する憲法へと移行していくことによって、どのような事態が発生することになるのか。その一つの回答が、すでにフィジー諸島で出されている。2000年のクーデタ以降に、政府と野党労働党党首との間で繰り広げられた一連の違憲訴訟(=裁判闘争)(18)がそれである。その過程で明らかになったことは、「誠実な交渉」なくして、物事の解決はないということである。司法判断は政治上のもめ事を最終的に決着させる権威を持たないのである。憲法規定の解釈適用によっても、当事者の納得がないかぎり、争いは終息しない。この事例は、まだ憲法が現実の政治過程を十分に規制するだけの規範力を持つに至っていない証拠であると同時に、原住民の利益を十分に配慮しない憲法規範はとうてい受け入れられないということの証左でもある。そう考えるなら、太平洋島嶼社会での、「人権」意識の向上は、対立・闘争・混乱・停滞・………をもたらすものでもあるという見方も出来る。もっとも、これこそが民主的発展の一段階である、との見方もありえよう。
 
7.結びに代えて−「人権の普遍性」再考へ
 
 ここで、冒頭の小林教授による問題提起を思い起こしてみよう。人権を論ずるときに考慮すべき条件として、@経済的条件、A人間観、B風土・精神的土壌、が挙げられていた。西洋近代的人権理念の基礎にあったのは、恵まれた経済条件、原子的個人という人間観、そして西洋という風土・精神的土壌であった。太平洋島嶼国において、これら3つの条件は次のように要約できるよう。すなわち、@開発途上国という経済的後進性、A共同体の中で生きる個人、そしてB熱帯にある島嶼国という風土とパシフィック・ウェイと表現される精神的土壌、である。これらの条件は、いずれも人権理念を生んだ西洋近代社会とは異質なものである。このような太平洋島嶼世界に、西洋近代的人権理念を無批判に適用していいのか。個人間の競争・対立・闘争と自己主張を基調とする社会と協調と妥協を基調とする社会では、必要とされる人権が同じであるはずがない。太平洋島嶼国における人権、さらにわが日本も視野に入れた「太平洋文化圏における人権」の可能性が検討されるべきではないだろうか(19)。
 グローバル化社会の現代世界において、「人権の普遍性」旗印の下に、西洋近代的人権理念を世界の隅々に「布教」する傾向が顕著になっている。今日の世界には、人権抑圧が日常化し人間の尊厳が蹂躙されている国家があることは周知の事実である。このような国家においては、西洋近代的人権理念を普及させる必要性は誰しも否定できないだろう。ところが、人権抑圧とまではいえないが、人権保障が不十分な一群の国々がある。こうした諸国の人権状況の評価がしばしば先進国や国際機関によって行われ、その改善の必要性が訴えられることがある。太平洋島嶼国もその対象となることがあるが、その評価には違和感を覚える。西洋近代的人権観に基づく尺度を適用すれば、批判されるような人権保障状況にあっても、そこに生活する人々が評価する側よりも満足感を持って生活しているのではないかとおもわれることがあるからである。人間の幸福という尺度を以てすれば、高い評価が与えられるように見えるのである。
 人権の普遍性の名の下に、世界の価値観の一元化が図られることは必ずしも世界の人々の幸福を意味しないだろう。さまざまな異なった条件の下で、異なった価値観を持った人々が日々の暮らしを営むのが地球社会である。地球社会における価値の多様性を承認し、その上で、西洋近代的人権理念を「共通了解事項」として共有することが人々の幸福に資するのではないだろうか。人権の普遍性の名の下に、なじみのない価値観を強制することが人々に新たな災厄をもたらすことになっていないかどうか。先進国の精神的優位性に立った植民地主義的姿勢による人権の押しつけがないかどうか。人権の普遍性を再考する余地があろう。これは、発展途上国だけの問題ではなく、憲法の改正が現実の政治課題になりつつあるわが国において、新しい憲法における人権を考える際に念頭に置かれるべき問題でもあろう。


 
(1)小林昭三『比較憲法学・序説』(成文堂、1999年)の「第十章 人権に対するアジア的精神風土からの問いかけ」、pp.276-289(引用部分はpp.288-289)参照。同様の問題意識に立つものとして、西 修『憲法体系の類型的研究』(成文堂、1997年)の「第五章 憲法の運用、とくに人権保障の側面からみた分類」のうち、特に「五 非西欧的人権観」(pp.387-391)、及び安田信之『ASEAN法』(日本評論社、1996年)の「終章 開発法学の提唱:開発と法政策」(pp.315-339)。安田教授は「人権という概念について、国際人権というかたちでより普遍的な人権概念が主張される一方、先住民やマイノリティなどのいわば集団的人権ともいうべき概念が登場しつつあるように見える……機構としての国家(state)は、いまや、世界市場の反映でもある国際社会とこの対極にある人々の共同体としての「くに」(nation or ethnisity)により挟撃されている、といいうるのである」と指摘する(329頁)。
(2)パプアニューギニアを除く太平洋島嶼国は、最小島嶼国家(Small Island Countries: SICs)に分類される。これは、海洋に囲まれた100万人以下の人口を有する諸国を指し、小規模性、対外従属性、海洋性などを特徴とする。政治的には、多様な政治的地位(独立国・保護領・信託統治領・自治領など)や前近代と近代が混在する政治・国家形態をとる。佐藤幸男「近代世界システムと太平洋−島嶼国家の世界政治学序説」、佐藤幸男編『太平洋世界叢書1 世界史の中の太平洋』(国際書院・1998年)所収、43頁。
(3)小林泉・東裕共著「強いられた国民国家」、佐藤幸男編『太平洋世界叢書1 世界史の中の太平洋』(国際書院・1998年)所収、pp.69-106。
(4)カミセセ・マラ(小林泉・東裕・都丸潤子共訳)『パシフィック・ウェイ フィジー大統領回顧録』(慶應義塾大学出版会・2000年)、p.347。なお、パシフィック・ウェイ(Pacific Way)の概念については、拙稿「『パシフィック・ウェイ』概念の再検討」、(苫小牧駒澤大学)、『苫小牧駒澤大学紀要』、第三号、2000年、107-133頁、及び同「パシフィック・ウェイという生き方−フィジーにおける政治生活を中心に」、佐藤幸男編『太平洋世界叢書5 太平洋アイデンティティ』(国際書院・2003年)所収、pp.15-41、参照。
(5)拙稿、前掲「パシフィック・ウェイという生き方−フィジーにおける政治生活を中心に」、pp.15-41。
(6)ワントク(Wantok:英語のone talkに由来)とは、ピジン英語で〈同一言語を話す人〉あるいは〈同じ部族出身者〉を示す語。本来、ピジン英語で〈同じ言語を話す人〉を意味するが、メラネシア地域では〈同じ部族出身者〉を示すためにしばしば使用される。(豊田由貴夫「ワントク」『オセアニアを知る事典【新訂増補】』(平凡社、2000年)、327頁。)
(7)小林昭三「太平洋島嶼諸国比較憲法の試み」(比較憲法学会)『比較憲法研究』、第3号、1991年、所収、p.133。本論文は、太平洋島嶼国の比較憲法における先駆的研究である。
(8)フィジー諸島共和国憲法(1997年)については、東 裕「国民国家形成と憲法−フィジー諸島共和国の場合−」、憲法政治学研究会編『憲法政治学叢書1 近代憲法への問いかけ』(成蹊堂)、1999年、pp.237-256、及び「フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利」、(苫小牧駒澤大学)『苫小牧駒澤大学紀要』、第2号、pp.63-84、1999年、参照。
(9)拙稿、前掲「フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利」、69頁。
(10)太平洋島嶼国においては、一般に外国人への土地の売買及び長期間にわたる貸与は、原則として禁止されている。これは、フィジー諸島の場合と同様の考慮によるものと考えられる。
(11)拙稿、前掲「パシフィック・ウェイという生き方−フィジーにおける政治生活を中心に」、pp.15-41。
(12)カール・レーヴェンシュタイン(阿部・山川共訳)『新訂現代憲法論』(有信堂1986年、原著発行1959、1965年)、188頁。
(13)同、187-188頁。
(14)同、188頁。
(15)同、190頁。
(16)東 裕「トンガ王国憲法と民主化運動」、憲法政治学研究会編『憲法政治学叢書2 憲法における東西事情』(成蹊堂、2000年)、172頁。
(17)マタイとは、サモア諸島の社会組織において、大家族の家長にあたる称号保持者。アイガと呼ばれる親族集団(普通いくつかの大家族に分かれる)が、特定の村に宅地・耕地及び複数の継承されるマタイの称号名をもち、アイガの最高位マタイは各大家族に宅地・耕地を分け、ふさわしい人物にマタイの称号名を与える。マタイは家族の労働力を適宜配分し、家族の生産と消費を管理し、行動を監督する。(山本真鳥「マタイ」『オセアニアを知る事典【新訂増補】』(平凡社、2000年)、277頁。)
(18)東 裕「西欧民主主義への挑戦と敗北−フィジー1997年憲法の成立から破棄・再生へ−」、憲法政治学研究会編『憲法政治学叢書3 近代憲法の洗練と硬直』(成蹊堂、2002年)、226-239頁、及び同「フィジー『複数政党内閣事件』判決について−控訴裁判決(02/02/15)における組閣条項(99条)解釈」、『パシフィックウェイ』(社団法人太平洋諸島地域研究所)、通巻120号、2002年、pp.4-18。
(19)「パシフィック・ウェイという生き方を共有する、われわれ日本人をも含んだ太平洋島嶼人の連帯による共通文化の確認とアイデンティティの形成が、戦争と革命の世紀であった20世紀を超えた21世紀地球社会における生き方のモデルを提示する可能性を秘めているのではないだろうか。すなわち、激しい対立と闘争ではなく、穏やかな調和と共生を基調とする太平洋流の生き方の価値の再確認とその体系化」(拙稿、前掲「パシフィック・ウェイという生き方−フィジーにおける政治生活を中心に」pp.36-37)、という問題提起である。