研究員の論文
フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利

苫小牧駒澤大学助教授 東裕 (ひがし ゆたか) 
出所:「苫小牧駒澤大学紀要」第2号(1999年10月31日)、pp.63-84

−はじめに・1.「権利章典」・2.「コンパクト」の導入・むすび−

はじめに
フィジー諸島共和国憲法(1997年)は、それまでの「人種差別憲法」として内外から批判を浴びたフィジー共和国憲法(1990年)の改正憲法として成立した。実質的には新憲法であるこの憲法の成立によって、フィジーにおける人種問題が解決に向け大きく前進し、国民統合への最初の一歩が踏み出された(*1)。

最大の課題であった下院の人種別議席制が大幅に改正され、下院におけるフィジアン(=フィジー原住民のフィジー人)の絶対多数の保障がなくなった。フィジー国内のすべての人種の人口比に比例した人種別議席(46議席)を依然として維持しながらも、残り25議席をオープン・シート(=人種区分のない議席)とすることで人種間の平等を推し進め、同時にそれぞれの民族的(人種的)利益を実現するための議席の確保を保障した。また、前憲法ではフィジアンに限定されていた首相の人種要件を廃止したことにより、この憲法のもとではじめて実施された 1999年5月の総選挙の結果、インド系の首相が誕生するという、この国はじまって以来の「事件」が起きた。

こうして、フィジー諸島共和国は、国内の二つの大きな人種グループであるフィジアンとインディアン(=インド系フィジー人)が、いつか「フィジー諸島国民」という単一名称で把握されることになる日を目指して、国民統合に向け新たな出発をすることになったのである。いうまでもなく、これは、1997年憲法がもたらした結果であったが、それは人種別議席制・選挙制度・首相の人種要件、といういわば統治機構の規定が変わったことによるものであった。

こうして両人種間の政治的平等が実現されたのであるが、今後それが両人種間の実質的な権利の保障に結びついていくかどうか、特に人種間の平等をはかりつつフィジアンの権利がどう保護されていくのか、焦点は「人権」の面へと移っていくことになろう。

そこで、本稿ではフィジー諸島共和国憲法(1997年)(*2)における人権関連規定を紹介し、それがいわゆる普遍的な人権に配慮しつつ、フィジーの現状を十分考慮したものであること、言い換えれば、人権の普遍性に異議申し立てを行ったものともいえるのではない、という問題提起を行うものである。

(注)
(*1) フィジーは、原住民であるフィジアン(Fijian)とインドからのさとうきびプランテーションでの契約労働者移民の子孫であるインディアン(Indian)が、人口をほぼ二分する社会構造をもっている。イギリスからの独立時につくられた1970年憲法では、下院議席全52議席を両民族平等に22議席づつ配分するなど、憲法上両民族間の政治的利益の調整を行ってきた。ところが、1987年の総選挙後にインド系内閣が誕生するに及んで、インディアンによるフィジーの政治的支配に危機を感じたフィジアンの軍人ランブカ中佐(前首相)によるクー・デタが発生した。フィジアンの利益を十分に考慮していないなどの理由により、1970年憲法にかえて1990年憲法が作られた。この憲法では、下院71議席中の過半数37議席をフィジアン議席とし、首相はフィジアンに限るとするなど、フィジアンの政治上の絶対優位が定められた。この憲法が改正され、97年7月に1997年憲法が成立した。詳細は、東 裕「国民国家形成と憲法――フィジー諸島共和国の場合」、憲法政治学研究会編『近代憲法への問いかけ――憲法学の周縁世界』(成蹊堂)、1999年、所収、pp.237-243、参照。

(*2) 1997年憲法の原文については、Constitution (Amendment)Act 1997 of the Republic of the Fiji Islands, 25 JULY, 1997, Fiji Government Printing Department, 1997、参照

1.権利章典

2.「コンパクト」(compact/協定)の導入


むすび
以上、フィジー諸島共和国憲法(1997年)の人権規定と、原住民の権利に関する規定を概観した。この憲法は、権利章典に近代憲法原理の流れをくむ「普遍的」人権を規定し、現代世界のいわば人権のグローバル・スタンダードに配慮し、これまでの「人種差別憲法をもつフィジー」というイメージの払拭に努めている。

本稿ではとりあげなかったが、1990年憲法にあった人種別選挙制の大幅な修正と首相就任要件からの人種要件の削除が、最大の憲法改革であったことは確かである。しかし、権利章典の諸規定、特に権利章典は公権力を行使するものを拘束するということを明示し、そして国民及び政府の人権教育のために人権委員会の設置を規定した点が、人権重視の憲法というイメージを高める上で、大いに貢献しているといえよう。

ところが、その一方で、フィジーの独自性に配慮したフィジアンを中心とする原住民の利益保護の規定を置き、これまでに認められてきた伝統的な慣習上の利益を今後も引き続き保障するとともに、さらに一歩進めて、アファーマティブ・アクションの実施を政府に義務づけるなど、普遍的人権の考え方には必ずしも添わないような規定の存在も、この憲法の大きな特徴である。

このことは、人権の「普遍性」に大きな疑問を投げかけるだけでなく、憲法によって保障され、実現されるべき利益とは何か、という問いかけでもあろう。これは、ひいては近代憲法の限界を示唆する問いでもある。この点については、いずれ稿をあらためて論じてみたい。