研究員の論文
クック諸島は独立国か…主として比較憲法の視点から

苫小牧駒澤大学国際文化学部助教授 東裕(ひがし ゆたか)
出所:「South Pacific」(南太平洋シリーズNo.217) (社)日本・南太平洋経済交流協会(1999年5月号)、pp.3-15

はじめに
クック諸島(ニウエも)を独立国といってよいのか。太平洋をフィールドとする各分野の研究者の間で認識の相違が見られる。筆者の周辺の人々は独立国ではないという見解のようだが、そうではないという人も少なからずいることは耳している。ただし、それぞれが、どのような根拠に基づいてそう考えているのか訊いてみたことはない。たまたま本誌の既刊号で次のような記事にふれたため、この機会に論点を整理しながら私見を披露し、太平洋地域に関心を持つ諸氏の批判を仰ぐことにしたい。 

「・・・日本政府からして、すこし変である。太平洋にある国すべてと正式な外交関係を結んでいるわけではない。例えばポリネシアのクック諸島とニウエという国などは、立派に憲法ももつ独立国なのだ。国際法でも独立国の扱いであると聞く。しかし日本という『大国』は、それを無視しており、独立国にふさわしい待遇をしているとは思えない。日本で市販される地図などでも、わざわざ赤括弧で『ニュー』などと付けている。つまりニュージーランドの領土というわけだ。ニュージーランドの人たちも驚くことだろう。こうした事情を思うと、南太平洋に旅をしていて恥ずかしくなるのだ。(1)」  

これは京都大学の片山一道教授が、本誌1997年12月号に寄稿された『ポリネシアのことを考え、ポリネシアの人びとのことを想う』の中の一節である。ここでは、クック諸島もニウエも「国」であり、「憲法ももつ独立国」で、「国際法でも独立国の扱い」をしている。にもかかわらず、わが日本国政府は両国を「ニュージーランドの領土」として扱い、独立国としての待遇をしていない、という教授のお考えが示されている。 

後に述べるように、確かに「ニュージーランドの領土」と見るのは誤りのようである。しかし、だからといって独立国であるというふうに断定できないようでもある。問題はもっと複雑である。以下に、その根拠を提示して検討してみたい。 

なお、筆者は憲法学・政治学の専門家のハシクレではあるが、国際法については素人同然である。したがって、国際法に関しては、本稿の問題を考察する上で必要な基礎知識を読者に紹介にとどめる。この点については、金沢大学の五十嵐正博教授の著書『提携国家の研究・・・・国連による非植民地化の一つの試み・・・・』(風行社、1995年)の中で、すでに議論は尽くされているとおもう。興味をお持ちの方の参照をお勧めする。

1.国際法学からみた国家の独立
(1)国際法上の国家の要件  
国家の定義については、政治学、憲法学、国際法学等、学問分野によってさまざまな定義がなされるが、国際法上は、次の4つの要素を有する団体が、国際法上の人格を有する国家(=主権国家)とされている。

@恒常的住民、すなわち国籍を有し定住する「国民」。 A明確な領域、すなわち領土・領水・領空。 B政府、すなわち国民と領域を支配する実効的な統治機構。 C他国と関係を取り結ぶ能力、すなわち外交能力。 

以上の4つがそれである(「国の権利および義務に関する条約」(「モンテヴィデオ条約」。1933年署名。1934年発効。))。 

このうち、@〜Bが国家の実質的要素であり、Cは国家の有する権利内容の一つとしてとらえられる。 

Bに関し、「実効的支配」が行われているかどうかは、(i)対内的に当該国家の全領域、または少なくともその相当部分に対して安定的な権力を確立し、維持しているかどうか、(ii)対外的に事実上独立した自主的な存在であるかどうか、によって判断される。 

Cの外交能力は、「法的に他国に従属することなく自らの決定のみに従って他国と法的関係を形成・維持・変更する能力」と理解され、これは国家の有する権利内容の一つである。この能力を完全に保持するのが国家本来の姿とされる。 

それは具体的には条約締結権の有無によって判断される。逆に、この能力が制約されている国家は完全な主権国家であるとはいえず、この能力が国家にとってもつ意味は決定的であり、この点についての法的制約の有無・程度などを基準にして、国家形態が類型化される。(2)

(2)国際法学上の国家の分類
ミクロネシア3国やクック諸島などが一般にその中に入れられる「自由連合」国は、従来の国家の分類では、外交・防衛などを他国に委ねつつ内政上の自治を享有する点で、「被保護国」に類似する。 

しかし、自由連合国家としての国家の地位は、自治権行使形態の一のかたちである「独立国家との自由な連合」を人民が選択したことにもとづくものであり、その人民はなお独立国家を形成する国際法上の権利を保持する点で「従属的」国家結合たる「被保護国」とは異なっている。 

そのため、こんにちこのような自由連合国家を、「提携国家」(associated states) という概念で把握する見解があり、ニュージーランドを提携相手国とするクック諸島(1965〜)と、アメリカを提携相手国とするミクロネシア連邦(1986〜)などが、この「提携国家」に当たるとみる立場もある。 

周知のように国際社会においては、国家の成立を統一的に認定する機関は存在せず、個々の既存の国家がその認定を行う。これが「国家承認」で、その要件は、@国家の実質を具備していること(客観的要件)と、A国際法を遵守する意思と能力があること(主観的条件)の2点である。この要件を欠いた承認は「尚早の承認」として国際法に違反する。

ところが、承認は個々の国家の一方的な行為であることから、国家承認の要件を満たしているかどうかの判断が承認する側の国によって分かれたり、政治的考慮が働くことも多い。(3)

実際、クック諸島については、筆者の知るかぎり国家承認している国は、ポルトガル(1995年)、イラン(1996年)などの数か国だけで、ニウエについては国家承認した国はまだないようである。

したがって、クック諸島は「国際法でも独立国の扱い」と見るのは、一般的ではない。ただし、「国際法学上」という意味でなら、「提携国家」を独立国同様の扱いをする立場もあるようだが、このような立場が国際法学の世界で一般的に支持されているとはいえないようである。

こうした現状からすれば、日本国政府がクック諸島を国家承認していないことを、国際社会の流れに反しているかのように批判するのは当たらない。
2.憲法学からみた国家の独立
(1)憲法の制定と国家の独立について
「国家」(国)とは何かについては、学問分野により、あるいは論者により、見解に相違が見られるが、「実効的な統治機構(=政府)を有すること」いう点では異論はみられないだろう。では、この実効的な統治機構が、何によって創設されるかといえば、イギリス、ニュージーランドなどのごく少数の例外を除いては、単一の憲法典によってその組織が定められる。 

憲法によって統治機構を定めることは国家独立にあたって一般に見られる現象で、このことは太平洋島嶼諸国においても同様である。

「太平洋島嶼諸国では、いずれも独立にあたって憲法が制定された。宗主国は、脱植民地化=独立に必要な前提条件として憲法の制定を援助し、程度の差はあれ憲法制定過程に関与した。島嶼諸国にとって独立に備えた憲法の作成はきわめて重要であった。それは独立国家として国家生活を営むための準備であると同時に、独立国として国際社会に参加するための一種の『通過儀礼』の意味を持っていたからである。(4)」  

このY・ガイ教授の指摘に明らかなように、太平洋島嶼諸国における憲法制定は脱植民地化=独立の前提条件であった。憲法が制定されるということは、独立をにらんでの準備作業であった。つまり、憲法の制定は、独立国家としての統治機構の創設であり、独立国としての国際社会への参入の意思表明であった。 (5) 

また、憲法制定過程に宗主国が関与したが、このこととその後の独立国家としての政治的自主性・自律性とは直接的な関連性は認められない。憲法が宗主国の議会で準備されたとしても、そのことを以て当該国家の独立への意思を疑問視する決定的根拠とはなしえない。そのことは太平洋諸国の独立の例を見れば明らかである。 

一方、どのようなかたちにせよ、憲法を準備したことは、今日の世界の独立国のほとんどが単一の成文憲法典を持つという点から見て、そこに明確な独立への意思を見てとることができるのである。                                        
(2)憲法規定からみた独立の意思  
憲法(=憲法典)をもつからといって、その政治体が「国」であると即断できないことは、アメリカの各州が憲法をもっているように連邦制国家の例を挙げれば明らかである。また、わが国も、日本国憲法の制定から昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の 発効に至る占領下においては、憲法をもってはいたが、独立国ではなかった。 
このように、憲法をもつからといってそれが国であるとか独立国であると断定し得るものではない。憲法の中身と、その「国」がおかれている法的地位を検討してはじめて、「立派に憲法ももつ独立国」といい得るのである。 
そこで、その憲法が独立国の憲法であるかどうかについて、以下の諸点から考察を加えてみたい。                                        
A.主権規定  独立国としての要件のひとつが、一定の領域内における最高の排他的管轄権・統治権という意味での主権の存在である。すなわち、一般に国家主権と呼ばれる意味での主権規定が憲法上存在するか否かが、その国が独立国たる意思を有するかどうかを推測する一つの有力なメルクマールになることは疑いない。 

ただし、逆に、国家主権の規定がないからといって、ただちに独立国たる意思がないと結論づけることもできない。もともと、独立国たる事実があった国家にとっては、ことさら国家主権を宣言する必要が認められないからである。 
しかし、植民地から独立した国家にあっては事情が異なる。太平洋諸国の憲法を例にとれば、フィジー憲法[1970年]「フィジーは、主権を有する民主国家である」(第1条)、同[1990年]「フィジーは、主権を有する民主共和国である」(第1条)、同 [1997年]「フィジー諸島共和国は、主権を有する民主国家である」(第1条)、ツヴァル憲法[1978年]「ツヴァルは、主権を有する民主国家」(第1条)、西サモア独立憲法[1960年]「独立国家西サモアは、自由で主権を有する国家である」(第1条)、キリバス憲法[1979年]「キリバスは、主権を有する民主共和国である」(第1条)といったように、一様に国家主権の宣言と考えられる規定を憲法の第1条においている。 

また、国連信託統治領から独立したミクロネシア3国については、それぞれ次のような規定が見られる。

まず、ミクロネシア連邦憲法[1979年]は「われら、ミクロネシア人民は、われら固有の主権を行使し、ここにミクロネシア連邦憲法を制定する」(前文)とし国民主権の発動たる憲法制定行為が国民の意思にもとづいて行使しされたこと、すなわち憲法制定にあたって他国からの干渉を排し国民の自由な意思表示ができる国であることを示すことで国家主権を表明していると解される。

次に、パラオ共和国憲法[1980年]においては「われらの固有の主権の行使において、われらパラオ国民は、われらのはるか遠い昔からの権利が、われらの祖国であるパラオ諸島において、最高のものであることを宣言し、再確認する。・・・(中略)・・・主権を有するパラオ共和国の憲法制定において、われら自身の努力と全能なる神の聖なる導きを全面的に信頼して、将来に向かって踏み出すものである。」(前文)、「国防、安全保障、外交関係を含む主たる政府の権限は、主権を有するパラオ共和国と、その他の主権国家または国際機関との間の条約、盟約(compact)またはその他の協定(agreement)によって委任することができる。・・・」(2条3項)といった国家主権に関する規定をおいている。

マーシャル諸島共和国憲法については、いささか事情を異にし、直接『主権』という言葉を使った規定はないが、「われら、マーシャル諸島人民は、生命、自由、独自性及び固有の権利の贈与者である神を信じて、ここに権利を行使し、われらと、きたるべき世代のために、この憲法を制定する。」(前文)として、憲法が、『固有の権利』を有するマーシャル諸島国民によって制定された旨を規定する。

以上の例から明らかなように、太平洋諸国においては非独立国が独立するにあたっては、その憲法の前文や第1条に、主権国家であることを示す文言が明示されるのが通例であると結論できよう。

しかし、クック諸島憲法及びニウエ憲法にはこのような主権を示す規定は見当たらず、クック諸島憲法制定法[1964年]とニウエ憲法制定法[1974年]に「クック諸島(ニウエ)は自治国である(The Cook Islands (Niue) shall be self-governing.)」(いずれも第3条)との規定が見られるにとどまる。これが主権国家を表明したものであるがどうかは疑問で、むしろニュージーランドの市民権(クック諸島憲法制定法第6条・ニウエ憲法制定法第5条)等との関係で、あえて主権国家であることを明確化するのを回避した表現ではないかと考えられる。                                        
B.国家元首の規定  今日、国家元首は、行政権の保持とは離れ、国家を対外的に代表する国家の象徴的存在として理解されるようになっている。憲法においては、国家元首の規定をおくことが一般的であり、元首規定の存否を独立国たる意思表示の一つのメルクマールとすることもできよう。ただし、主権規定の場合同様、逆必ずしも真ならずで、国家元首の規定の不存在を以てただちに独立国ではないと断定できないことは、わが国の憲法の例を引くまでもない。 

太平洋諸国の憲法において、国家元首規定をおかない憲法は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、ナウル共和国等に見られるが、これらのミクロネシア諸国は政治制度として議院内閣制を採用しながらも、大統領職をおいているところに特徴がある。 

すなわち、行政部の首長が国会議員の中から選出されるにもかかわらず、その首長を内閣総理大臣(首相)ではなく大統領と呼び、国際的な慣例に従って国家元首であることを表現していると考えられるのである。 

ただし、キリバスの場合は、議院内閣制の下で大統領職を置き、しかも大統領が国家元首であることを明記している(第30条2項)。 

また、フィジー共和国憲法[1990年]も議院内閣制を採用し、首相と国家元首として大統領職をおくが、憲法規定上は大統領が国家元首であることを定めた規定がない。国名の中で『共和国』の名称を付することによって、大統領が国家元首であることを黙示的に表現した例であると考えられる。

なお、立憲君主制をとるトンガ王国の場合、国王が国家元首であることは疑いないが、憲法上国家元首の規定は見られない。

一方、憲法上、国家元首の規定をおくものには、キリバス憲法以外に、パプア・ニューギニア憲法(第82条)(「女王陛下は、憲法制定会議を通して、パプア・ニューギニア人民に、パプア・ニューギニアの女王並びに国家元首となることを求められ、仁慈深くそれに同意して、パプア・ニューギニアの女王陛下並びに国家元首となる。」)、ソロモン諸島憲法(第1条第2項)(「女王陛下は、ソロモン諸島の国家元首である。」)、フィ ジー共和国憲法[1997年](第86条)(「大統領は、国家元首であり、国家の統合を象徴する。」)の例がある。

以上の例にみられるように、国家元首の規定をおく場合は、英連邦所属の独立国の場合は英国女王が国家元首であることを明記し、共和国の場合は大統領が国家元首であることを規定する。

また、国家元首の規定をおかない場合は、共和国を宣言することによって、大統領が国家元首であることを黙示的に示し、トンガ王国の場合は国名にも明らかなように、立憲君主制を宣言することで国王が国家元首であることを黙示的に表明しているとみられる。

こうした例に照らして考えると、クック諸島憲法[1982年]が「ニュージーランドの国家元首である女王陛下がクック諸島の国家元首である」(第2条)と規定するのは、英連邦諸国の例に倣ったものと見られる。この点から判断すると、クック諸島は、英連邦下の独立諸国同様、国家元首の規定をおくことによって独立国たる意思表示を憲法上行ったものとみることも可能ではある。

ところが、一方、ニウエ憲法[1974年]についてはこのような規定は見られず、国家元首規定の不存在と政体(共和制・君主制)の宣言が国名にも見られないことから、国家元首関連の点から、憲法上独立国家たる意思表示を読み取ることはできない。

ただ、強いて類似の規定を挙げれば、行政権が女王陛下に帰属することを定めた第1条の規定が、女王陛下を国家元首としたものであるとする解釈の余地は認められなくはないが、クック諸島憲法では同様の文言の条文(第12条1項)をおいたうえで、国家元首の規 定を置いている点に留意する必要があろう。

ところで、英国と英連邦加盟諸国の場合と比較すると、クック諸島とニウエの場合は、ニュージーランドの国家元首である英国女王をニュージーランドを通していわば間接的に、国家元首としている点に特徴があり、この点を重視した場合、やはりこのようなニュージーランドとの特別な関係が、独立国か否かを考える場合の論点の一つになると考えられる。                                        
3.学説の立場
(1)ガイ教授の見解  
太平洋諸国憲法研究の権威であるヤシュ・ガイ教授(香港大学)は、その著書『太平洋における国家元首:その法的・憲法的分析』(南太平洋大学太平洋研究所刊、1990年)の中で、クック諸島・ニウエ・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦の国際法上の地位について、「独立、または非独立?」(Independent or Not?)というタイトルで問題 を提起し、詳細な考察を行っている。以下に、その要旨を紹介する。 (6) 

太平洋諸国の国々は、かつての植民地が、今日独立国となったもので、その中にはかつての宗主国と重要な継続的提携関係を持っている二つのタイプの政治形態ある。一つは、ミクロネシアのかつてのアメリカ信託統治領である、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島で、もう一つは、ニュージーランドとの提携国家であるクック諸島とニウエである。 

このように、一般に「自由連合国」といわれる北と南の太平洋諸国を二つのタイプに分ける根拠として、1979年にニュージーランドがクック諸島の地位について、ロメ・カウンシル・セクレタリアート(Lome Council Secretariat)にあてた、文書がある。
 
そこでは、クック諸島の地位は次のように記述されている(ニウエについても多くは同じ)。 

「クック諸島は、植民地(colony)でもなければ、属領(dependent territory)でもない。しかしながら、国際法で伝統的に理解されてきた概念における『主権を有する独立国』(sovereign independent)でもない。それは、おそらくクック諸島とニウエだけが 属する特別のカテゴリーに入る。それは、国内的・対外的事項の双方についての諸問題に関し、自国の運命をコントロールする完全な権能を有する『提携国家』(associated state)である。」  

その理由は、クック諸島とニウエは、@国際法上同一の法人格を持っていること、A同一の国家元首と市民権を持っていること、Bニュージーランドに対し一定の責任を負っているが、いつでも提携をやめることができること、の3点である。 

こうして、クック諸島とニウエを同じ「自由連合国」とはいいながら、ミクロネシア3国とは別の「提携国家」に分類し、主権独立国ではないがそれと同様の権能を有する国家とみているする。この点ミクロネシア3国とクック諸島・ニウエをともに「提携国家」ととらえる立場とは違っている。次に述べるように、ガイ教授はミクロネシア3国は「主権国家」とみなしているのである。その論拠として、以下の4点を検討している。                                           
(2)ガイ教授の論点                               
A.防衛と外交  ニュージーランドはクック諸島の防衛と外交関係について一定の責任を有するが、それ以外のすべての立法権と行政権はクック諸島政府に付与され、外交関係に関しても事実上の自律権をかなりの程度行使している。 

なお、このことに関する規定としては、1964年のクック諸島憲法制定法(Cook Islands Constitution Act 1964)第5条及び1974年のニウエ憲法制定法(Niue Constitution Act 1974)第6条があり、いずれも外交関係及び防衛に関するニュージー ランドの女王陛下の責任に影響を及ぼすものではない、として女王の無答責を定めている。

クック諸島については、外交と防衛に関しては、女王に助言するのはニュージーランドの大臣というよりもむしろクック諸島の大臣であることが慣習によって決まっていると指摘される。そして、ニュージーランドとクック諸島の両国は、いずれもこの条項は外交に関しては憲法上完全な権能をクック諸島に認めたものであり、ニュージーランドの外交当局による事前の承認等を要するものではないことを強調してきた。

しかしながら、クック諸島の外交上の行為と義務に関しては、1976年にニュージーランド政府がクック諸島の国際関係上の行為についての単独責任を認めるまで、国際的にはニュージーランドが責任を負ってきた。

B.国家元首  提携国家としての地位(associated status)は、クック諸島とニウエはともに、ニュージーランドとは分離された主権を有しないことを意味し、それゆえ分離された国家元首を有せず、両国はニュージーランドの国家元首、すなわち英国女王を共有する。 

そのため、クック諸島においてはニュージーランドの総督が形式上女王の機能を果たしてきた。ところが、総督はクック諸島居住者でなかったため、実際には、ニュージーランド政府の代表としても行動するニュージーランド高等弁務官にこの機能が委任され、クック諸島の「独立」性は、きわめて疑わしいものであった。 

このような状態に変化をもたらしたのが1982年の憲法改正であった。クック諸島は国家としての地位の拡大を主張するためこの憲法改正で、ニュージーランド高等弁務官に代えて、その機能を果たすクック諸島独自の女王の名代(Queen's Representative)を置いたのである(1981-82年の憲法改正法第4条)。このことをもって、クック諸島が独自の国 家元首を置いたとみる見解もあるが、やや無理があるように思われる。

一方、ニウエの場合は、状況が違う。ニウエでは、ニュージーランド総督が国家元首を代行し、ほとんど儀礼的にほぼ3年に1度ニウエを訪問するだけである。それ以外は、国家元首の権限のほとんどは、国会議長か首相が行使している。

C.提携関係の法的基礎クック諸島とニウエのニュージーランドとの提携(association)は、いずれもニュー ジーランドの立法(=1965年のクック諸島法並びに1974年のニウエ法)によって確立されたが、一方、パラオ共和国、マーシャル諸島共和国及びミクロネシア連邦とアメリカ合衆国との提携関係は、自由連合盟約(Compacts of Free Association)という条約によって確立されたものである。
 
ミクロネシア3国と比較すると、ミクロネシア3国の場合、自由連合の下でアメリカから財政援助を受ける見返りに軍事上の諸権利をアメリカに認めるとともに、アメリカに安全保障、外交、防衛、及び移民管理に関する一定の権利の行使をも認めている。しかし、こうしたミクロネシア3国のあり方は、これらの国々の主権を損なうものではない。 

すなわち、条約締結権は国家主権の一側面であるからである。このような自由連合の解釈に対して異論もあるが、近年の国際慣行は、これら3国を主権国家と見做し、それぞれが国家元首としての大統領を持っている。                                        
(3)ガイ教授の分析への検討  
ガイ教授は以上のように分析し、ミクロネシア3国については、主権国家すなわち独立国とする一方で、クック諸島とニウエについては明言を避けているが、主権独立国家とは別のニュージーランド政府の見解にいう「提携国家」にあたるとの立場に立っているように思われる。 

ガイ教授の分析の中で検討されている論点は、@主権及びそれに関連する国家元首、A提携国家関係の法的根拠、B条約締結権である。この3点に限って、ミクロネシア3国とクック諸島・ニウエの場合をさらに比較検討する。 

@すでに指摘したようにミクロネシア3国の憲法には主権規定ないし主権規定と見做される条項がおかれているが、クック諸島とニウエの憲法にはそのような条項は存在せず、ニュージーランドと主権を共有している。 

したがって、国家元首については、独自の国家元首を持たず、ニュージーランドの国家元首である英国女王を間接的に自らの国家元首として戴いている。 

A提携国家の法的基礎については、ミクロネシア3国は「コンパクト」という名称の条約の上に成立しているが、クック諸島とニウエの場合はニュージーランド議会でつくられ両国に与えられた憲法を基礎にしている。 

B条約締結権についてはいずれも決定的な違いはなく、一部制限はあるものの、ミクロネシア3国が独立国として国際社会で認められている現状を考慮すると、条約締結権の面ではクック諸島・ニウエともに独立国と見做し得る実態を備えているといってよい。 

以上の点から見て、同じ自由連合とはいいながら、ミクロネシア3国は憲法上、国家主権を宣言する規定をおき、各国が独自の国家元首をもち、条約によって自由連合関係を確立している点で、クック諸島・ニウエと明らかな相違が見られ、この点でミクロネシア3国は独立国家と見做される十分な基礎を備えているのに対し、クック諸島とニウエはこの基礎を欠いている、というのがガイ教授の結論のようである。

しかし、『提携国家』が主権独立国と同様に扱われるべきだとの主張が国際法学の分野で市民権を得ていくようになると、上記の2つの基礎を欠いているとしても、ガイ教授のいうように条約締結権を国家主権の一側面と捉えて、条約締結権の存在を根拠にクック諸島・ニウエの両国を主権国家として把握する余地が、今後はあり得るかもしれない。                                        
結び
以上の考察から、現状ではクック諸島及びニウエを独立国とみるのはかなり難しいと考えられる。確かに、ニュージーランド政府の見解からしても、クック諸島及びニウエをニュージーランド領と地図に記載することは誤りといえる。その一方、両国を国際法上独立国であると断定することにも躊躇せざるを得ない。これまでのところ、「提携国家」を独立国として扱う学説は国際法学者の間で多数を得ていないからである。 

ところが、実際にはまだ少数ながらクック諸島については国家承認を行って主権独立国の扱いをしている国もあり、たとえわが国の政府が国家承認を行ったとしても国際法違反の「尚早の承認」という問題は生じない。 

ただし、国家承認は政治判断によるとしても、その前提たる要件が満たされているかどうかが当然問題となる。この点、本稿の考察で明らかなように、その要件が十分に満たされていないのではないかと疑われる。わが国の政府は「すこし変である」と非難するのは、この問題に関しては妥当ではないだろう。 

筆者自身も国際政治上は、将来的にはクック諸島及びニウエの国家承認は十分に検討に値する外交課題であると考える。ニュージーランド政府の立場から見ても、たとえばわが国が台湾を承認するほどの事実上の困難は認められない。 

問題は挙げてクック諸島政府側の姿勢にある。独立国としての扱いを求めるのであればその意思を明確に表明すべきで、そのための国際的な障害はないはずである。国内的にも、自国の議会で自律的に改正できる憲法の中に主権規定や独自の元首規定をおくことに何の法的障害もない。独立国たる地位を明確にした上で、ニュージーランドとの自由連合なり、コモンウエルスなりの関係に移行すればよいだけの話ではないだろうか。
 
クック諸島政府(及びニウエ政府)の今後の対応に注目したい。                       
(注)                                      
(1) 「South Pacific」(南太平洋シリーズ No.200)、1997年12月号、(社)日本・南太平洋経済交流協会、p.8. 同様の記述は、岩本宣明『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)にもある。「憲法制定記念日はニュージーランド統治からの独立記念日でもあります。独立したのは1965年8月4日のことです。日本の新聞などを読んでいると、クック諸島はニュージーランドの保護領であるかのような扱いになっていますが、憲法もあるし国会も通貨もある、国旗に国歌まである、どこからどうみても立派な独立国です。」(p. 26)  

(2) 西井正弘編『図説国際法』有斐閣、1998年、p.48. 

(3) 同書、p.70.                                 

(4) Y.Ghai, The Making of Constitutions in the South Pacific: An Overview, Pacific Perspective: Rethinking Pacific Constitutions, (Vol.13, No.1.,1984), p.2.                                       

(5) 小林泉/東 裕「強いられた国民国家」、『太平洋世界叢書1 世界史の中の太平洋』国際書院、1998年、p.77〜.  

(6) Y.Ghai, J.Cottrell, HEADS OF STATE IN THE PACIFIC : A Leagal and Constitutional Analysis, Institute of Pacific Studies of the University of the South Pacific, 1990, p.3-6.*本稿の執筆にあたり、斉藤洋・平成国際大学助教授(法博)に国際法学者の立場から、有益な示唆をいただきました。ここに感謝の意を表します。
著者:東 裕(ひがし・ゆたか):早稲田大学政経学部卒。同大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。(社)日本ミクロネシア協会オセアニア研究所主任研究員等を経て、平成11年4月から現職。憲法学・政治学・オセアニア地域研究。

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