PACIFIC WAY
    
 
   好評の万博・南太平洋共同館   

小 林 泉( こばやし いずみ )

 3月25日から、愛知万博「愛・地球博」が始まった。6ヵ月の長丁場だったが、閉会まで1ヵ月を残して想定入場者数1千500万人を突破、これでイベント的にはまずまずの成功だろう。胸をなで下ろしている関係者の姿が目に浮かぶ。というのも、全国的に見ると「21世紀のいま、いまさら万国博覧会でもない」といった醒めた見方が少なくなく、35年前の「大阪万博」や15年前の「花と緑の万博」に比べて、準備段階からもう一つ盛り上がりに欠けていたからだ。


  国際社会も当初は、さほどの関心を示さなかった。2002年12月に万博認可が下りた後、政府はただちに諸外国に参加を呼びかけたが、すぐさま応じた国はごく少数、慌てた政府はあれこれ算段をめぐらし、太平洋島嶼地域にも目をつけた。域内をまとめれば、一気に12ヵ国となるからだ。

 政府の意向を受けて大活躍したのが、花博で「南太平洋館」を総合プロデュースした大石敏雄氏だ。彼は豊かな経験と日頃の太平洋ビジネスで培った島嶼人脈をフル回転させ、経済破綻したナウル共和国を除く11ヵ国から参加表明を取り付けた。  

 島嶼国の参加誘致にあたり日本側が提案したのは、第一に、地域一体の「共同館」、第二には、必要経費の日本側負担、そして第三には、展示制作と運営について日本側の全面的バックアップ、という三点。そもそも博覧会への出展は、万博協会が建物(モジュールと呼んでいる)を提供する以外は、すべて自前が原則だった。域内大国のパプアニューギニアは、一国での出展を望んだが、他の国々は共同出展案を歓迎した。経済負担はもちろん、出展ノウハウや出展物を小さな一国だけで賄うのが難しかったからだ。

 こうして「南太平洋共同館」の出展が決まったが、開館にこぎ着けるまで、関係者らは苦戦を強いられた。その最大理由は資金問題。日本側が全面的に支援するはずだったが、いざ実施となるとその姿勢をトーンダウンさせたからだ。日本政府や万博協会が負担する経費内容と島嶼国側が期待した支援の中身とでは、大きなギャップがあった。そのため、諸国側の落胆や不満が膨らみ、アドバイザー役の私に寄せられる不平不満も日ごとに募っていった。

 なぜ、そうなったのか? 理由は幾つか指摘できるが、何といっても全面支援を約束した協会側の動機と情熱が急激に萎んでいったのが最大の原因だ。というのも、少なかった参加表明国が開催日の接近にともない、100ヵ国を超えるまでに急増し、最終的には120ヵ国、4組織になったからだ。これで万国博覧会の形は整うから、参加国負担とする原則をねじ曲げてまで、むりに金と手間のかかる島嶼国を巻き込む必要はなくなったのである。

 しかし、これではあまりにもまずい。友好と連帯の絆を強めるための協働作業が、島嶼国に不信や不満を抱かせる原因になるのなら、金と暇をかけて反感の種を作っているようなものだ。このままでは、まともな展示館のスタートが危ぶまれる、と私は心配した。

 だが幸いにも、共同館はスケジュールどおりに開館。協会側の支援体制や参加諸国との合意形成の不備といった本質的な諸問題は依然として未解決だったが、とにかく現場関係者らの努力が功を奏した。さらに嬉しいのは、かなりの人気館になっていること。開館以来の平均入館者数は全体の2割を超えている。これは驚くべき数字だ。それゆえ、この成功が最後まで持続し、結果として本質的な諸問題の解決に有効に作用してくれることを、私は切に祈っている。

  ところで、これと類似の経緯を辿り、数々の問題を抱えるアフリカ共同館もまた、人気館の一つになった。この両館には、幾つもの共通点がある。たとえば、どちらもハイテクやCG画像を駆使した21世紀型ではなく、手作りディスプレーの中に民芸品や写真パネルをあしらった、いわば100年前でもできる程度の展示内容でしかない。だが、実はこれが人気の秘密になっていた。

  前評判の高い大国の展示館にはいつも行列ができていて、入館するのに何十分も並ぶ。ようやく中にはいると、大画面の映像やCG表現の展示物が続いたりするが、映像で見る外国の景色やイベントは、今どきの日本人には少しも珍しくはない。おまけに後が詰まっているから、ところてんのように、いつの間にやら外に押し出されてしまう。これでは楽しいどころかくたびれて、「期待はずれ」という不満感だけが残るのである。

  それに比べて太平洋もアフリカも、列ばずに入館できる。中では国々の民族衣装を着たアテンダントたちがあちこちにいて、踊ったり民芸品を売っていたり。南太平洋館では、椰子の実ジュースが評判で、ベンチに腰掛け冷えた果汁をストローですすりながら、アテンダントと会話を交わしたりすれば、愉快な気分になって館内滞留時間が長くなり、好印象度もアップする。結局のところ、科学技術がどんなに進んでも、人間一人ひとりの頭は、それほど進化してはいないということだろう。

  「マンモス」や「サツキとメイの家」など、超話題展示の人気ぶりは評判通り続いている。だが一方で、高級技術や大金をかけられない二つの共同館にも人気が集まる様は、まさにイベントの原点が人々の交流から始まっていることを示しているのではないか。私には、そう見える。                                          

                             

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