PACIFIC WAY
    ミクロネシア紀行
         旅してみれば−美しのパラオ

            <20>カヤンゲル − 楽園の中の楽園 その2 -
                      上原 伸一

 前回はカヤンゲル環礁への旅と、4つあるカヤンゲルの島の中で2番目に小さいダイバーの立ち寄る島の紹介をした。今回はいよいよ、人の住むカヤンゲル本島に上陸しよう。

 前回も紹介したように、カヤンゲルは、4つの島からなっており、この4つの島は環礁の東側に北から大きい順に並んでいる。1番北側の大きな島にのみ人が住んでいる。現在の住民は約40世帯、100人強である。2000年の国勢調査では、37世帯138人だが、南の島国のこの手の統計は必ずしも正確ではない。ちなみに、2000年の選挙の時のカヤンゲル州の選挙登録人数は307人であった(パラオでは18歳以上で参政権を持つ)。この数は、カヤンゲル州にいわば本籍を持つ18歳以上の人間の数を意味している。島を出て、コロールに住んでいる人の方が数が多い。更に、海外に出ている人もいる。ちなみに、2000年にカヤンゲル本島において投票した人は63人であった。

 満潮であれば、南の1番小さな島から順に北上して桟橋に向かう。干潮の時は、リーフの切れ目からしかリーフ内に入れないので、環礁の西側にあるウラチャネルから環礁を東西に横切る形で桟橋に向かう。いずれにしても、人の住む1番大きな島に近付くと、緩やかに内側にカーブした美しい砂浜が目に入って来る。波ひとつない美しい緑の海に白い砂浜が続き、ヤシの木が浜沿いに並んで、青空に向かってそびえている。それまでの外海の荒々しさとは対照的な何とも言えぬ美しさと穏やかさに心が引き込まれる。内側にカーブした湾の所々にスピードボートが停泊している。通常ダイビングに使うボートやコロール周辺で見かけるキャビンボートなどに比べると一回りは小さなボートが多い。カヤンゲルの人達は、この小さなボートでリーフを出て外海で漁をしたり、片道数時間をかけてコロールまで行き来をしたりしている。

 私が最初にカヤンゲルの本島に上陸したのは1995年6月の初旬であった。そのころは、ダイバーは前回述べた2つ目に小さな島(無人島)のビーチに上陸し、ここで昼食をとり帰って行くのが普通であった。この無人島のビーチに上陸する際にも、あらかじめコロールの事務所を通してカヤンゲル本島に連絡しておかなければならなかった。カヤンゲル本島を見物しようという人は極めて稀で、早くからコロールのカヤンゲル州政府事務所を通し、上陸をし島内でビデオ撮影をする許可を取るとともに、島内ガイドを頼んでおいた。人々は、観光客慣れしていないからか、どちらかというとはにかんだような、そっけないような素朴な感じで、特段こちらから話しかけをしない限りは、向こうから何か言ってくるというようなことはなかった。その後、何回も行く内に段々と雰囲気が変わってきた。釣りやダイビングで本島に宿泊する人達も大分出てくるようになったようで外部の人に対する島の人々の反応もかなり柔らかいというか少しくだけた感じにはなって来ている。それでも、ロックアイランズやコロールで出会うパラオの人々ほど人懐こい感じではない。単に見て回るだけであれば、1〜2時間で十分一周することが出来る。我々は、簡単にではあるがビデオの撮影をしながら回ったので、半周で2時間半位かかった。

 島の中央より少し北側に寄ったところに桟橋がある。いよいよカヤンゲル本島に上陸である。桟橋の根元には、「カヤンゲル州にようこそ。島を美しく健康に保とう」と(英語で)書いた看板が立っている。そのすぐ後ろには、屋根と柱だけの建物が建っている。いわば大きな四阿
(あずまや)といったところである。かなり大きな屋根の作る影の中で人々が様々に憩って居る。飲み物や食べ物を持っている人たちも多い。寝転がったり、おしゃべりをしたり、ただ佇んだりと思い思いにくつろいでいる。島の太陽は強烈である。コロールでも太陽は強く熱帯の暑さを感じる。ロックアイランズに出ると一段と強い日差しを感じる。カヤンゲルやペリリューといった島は更に暑い。日中、人々は日差しを避けて日陰にいる。子供たちですら木陰を使って遊んでいる。桟橋の袂にある大きな屋根は、人々に安らぎの影を与えている。ここにいれば島に出入りする人々をチェックすることも出来る。絶好の“井戸端会議場”ということになる。

 ここから更に少し島の中に入ると、ロータリーのような広場になっているところがある。回りに大きな木が生えていて、その影は子供たちの遊び場になっている。ひとつの木の下には、卓球台がおいてあり、半ズボンひとつでピンポンを楽しんでいる青年たちがいる。右側の木の間の道を少し行くと、左手に昔のアバイの跡(2棟分)がある。今は礎石だけが残っており、礎石の上には簡単な作りのゲスト用の建物とオールドエージセンターが建てられている。

 この2棟の間を右へ、つまり南に向かって曲がるとメーンロードである。両側はヤシの木と民家の生け垣が並び非常に美しい。暑い陽光に照らされて、わずか100メートルか200メートル先が陽炎で揺れている。日向に立っているだけで汗が流れ落ちてくる。道路に人影はまったくといってよいほど見えない。子供たちが時々、道路に現れたり、自転車で通り過ぎたりして行く。大人の人は極たまに自転車か小型のバイクで通り過ぎていくだけである。各家は、緑の生け垣で囲まれており、建物の壁は最小しか取り付けられておらず、風通しをよくしてある。天まで伸びる大きなヤシの木だけでなく、各家の庭には高さ2メートルぐらいまでの低いヤシの木が生えている。実はわずか1メートルぐらいのところになっている。背は低いが、黄色く熟した立派な実がなっている。カヤンゲルの人達は、ボートのオペレーターとしても非常に優秀だが、ヤシの木登りも上手である。少々の高さならするすると登ってヤシの実を落とす。とても真似のできる技ではない。しかしながら、島に残っている若者は少なく、老人と子供が多い。家でヤシの実を取りやすいように、低木のヤシがあちこちに植えられている。ヤシの実だけではなく、バナナも庭の中のみならず道路のあちこちでたわわに実っている。パパイヤも見事な実をつけている。まさに天恵溢れる美しい島である。

 何となくどこかに似ていると思った。1970年頃の竹富島に印象が似ている。竹富島の家は石垣に囲まれ、美しい赤瓦であるが、壁を極力取り払って、風通しを良くしているところや、強い陽光の下の素朴な美しい道などが似ている。カヤンゲルは、もっと自然が強く残り、野趣豊かであり、暑さも一段と強い。しかし、何よりも暑さと共に感じられる“のどかさ”がよく似ている。天恵の自然に抱かれ、ゆっくりと共生しようとしているその雰囲気がよく似ているのだと思う。

 民家の庭の中に入らせてもらう。広めの庭に、平屋の家が建っている。壁があまりないので、中が覗けてしまう。洗濯物が干してあるが、どちらかというと日向ではなく、むしろ影に干してある。上半身裸のおじいさんが、丼を抱えて昼食をとっていた。何かと思ったら素麺であった。特に付け汁を使うでもなく、茹でた素麺をそのまま丼に入れて食べているようであった。強い陽射しの下で白い素麺が光り、おじいさんの満足そうな笑顔が印象的であった。

 道をまっすぐ南へ行くと、また木が多くなってきて、ジャングルにぶつかって行き止まりとなる。その手前のところに州政府事務所がある(95年6月は建設中であった)。この事務所も昔のアバイの礎石の上に建てられている。突き当たりを道に沿って左へ曲がっていくと道はまた北へ向かって行く。こちらの道は先程のメーンロードよりは少し荒れた感じがする。東へ向かう小さな道があるのでそこを入ってしばらく歩いていくと東側の海岸に出る。こちら側は、外洋に面しているため、内湾とは全く違って荒々しい感じである。水際から10メートルから20メートルのところにリーフがあり、そこに波が白く砕けている。ちょっと風があると、その波はそのまま東海岸まで押し寄せる。海岸には木の枝など波が運んできた漂流物が打ち寄せられている。本当に何もなく荒々しくてひたすら暑い。海岸を南まで歩いていくと、隣の島、更にダイバーが立ち寄る3番目の島までが良く見える。この辺の海岸はパラオでは珍しく石がゴロゴロしているところがある。相当強い外洋の波が時として押し寄せるのであろう。

 南端まで行くと、村に戻る細い道に出る。ジャングルの中の道で、緑のトンネルの中を辿って行く感じである。途中で、道に落ちて二つに割れているヤシの実の中にヤシガニがいるのを見つけた。ヤシガニがその名の通りヤシの実を好物としていることは知っていたが、こんな状態で見たのは初めてである。近年はコロールのレストランでもヤシガニを見かけることはめったにない。個体も減り体も小さくなったといわれているマングローブガニよりもさらに、減少している感じである。ふと歩いているだけでこんな状態のヤシガニに出会えるとは、本当に自然が残って
いるのだ、としみじみ実感させられた。

 緑のトンネルを抜けると突然目の前がパッと開ける。広々とした芝生の庭が現れ、その向こうにコンクリートの建物が見える。カヤンゲルの小学校である。芝生の庭は校庭だが、どこにも外部との境を示す印はない。もちろん、塀などはどこにもない。日本と違い、犯罪者が学校に入り込むという心配は全くないところである。教室の中を覗き込むと、生き生きとした目をした可愛い子供たちが授業を受けている。休み時間になると、窓や戸から顔を出しカメラに向かって屈託なく笑顔で手を振ってみせる。これ以上ないほど伸び伸びとした南の小学校である。

 学校を通り過ぎて、一番西側の内湾に沿った南北の道を桟橋に向かって戻って行く。この道は、先程桟橋から南へ向かったセンターの道ほどすっきりとした感じにはなっていない。右手、島の中央側には点々と民家が並んでいるが、ここの民家は必ずしも生け垣で囲われてはおらず、道路から地続きで少し中に入ったところに家が建っているところが多い。外から見えるところにいろいろな品物が吊してある家はおそらく島の何でも屋さんだろう。道路の左手、海側はヤシの並木になっており、小さなボートが上に揚げてあったり、あちこちにハンモックが吊してあったりする。所々ハンモックで気持ち良さ気にうたた寝をしている人がいる。民家の庭や、ヤシの並木の下に鶏が飼われている。毛並みは艶々として実に堂々としている。かなり気が荒い様で、場合によってはこちらを追っかけて来ようとする。多くの鶏の足には長目の紐が括り付けられている。やはり気が荒いに違いない。鶏に比べて犬の方はのんびりしたもので、結構大きな犬がゆっくりと道を歩いている。こちらには紐も何も付いていない。

 桟橋の近くまで戻ってくると、昔の州政府事務所で現在は病院になっている建物と高い鉄塔が見える。この鉄塔は、コロールとの通信を行うための無線塔である。かつては、電気の稼働時間の関係で一日に数時間だけ無線による通信が可能であった。現在では、一日中電気が使えるし、電話も開通している。ちなみに電話が最初に引かれたのは2000年の2月で、電気が全面的に使えるようになったのは2001年の12月ということである。つまり、21世紀にはこの暑い島に電気冷蔵庫はなかった。島の人達は、生ぬるいままのペプシコーラやソーダ飲料を好んで飲んでいたわけである。

 島を半周して桟橋近くのロータリー当たりまで戻って来ると、島の空気に染まってしまった様で、何とも言えぬのどかさ、穏やかさが心にしみてくる。土方久功氏が、パラオで最も好きな島といい、何かあると元気を回復しにこの島に来たというのが何とはなく実感できる。この島に泊まり、朝に漁をして、昼にはハンモックでうたた寝をし、夜は星を眺めながらゆっくりと眠りについたら、確かに浮世の垢は抜け落ちて元気が回復することであろう。

 尤も、ヤモリや大きなトカゲはもちろん、小さなサソリもいるということであるから、虫嫌いな人には無理かもしれない。但し、ここのサソリは毒性が弱く、刺されても腫れて痛くなる程度で死んだりはしないそうである。

 桟橋から北側にも民家があるが、こちらはしばらく行くと行き止まりになってしまう。しかし、こちら側も南北に通る真ん中の道は立派な美しい道である。

 カヤンゲル州でダイビングをするには20ドル、釣りをするには15ドルのパーミッションフィーが必要。カヤンゲルの北西にはゲルワンゲルという環礁がある。ここは、露出している陸地がなくリーフだけで構成されている環礁である。といっても人が居住するだけの陸地がないということで、砂地は露出しており、亀の産卵で知られている。大変良い漁場で、魚影が濃いだけでなく、個体も大きく、人が入っていない分ダイビングも面白いと、言われている。現在はP.C.S.(パラオ・コンサべーション・ソサエティー)が管理しており、基本的には釣りもダイビングも出来ない。但し、カヤンゲル州の許可証を別途とったうえで、カヤンゲルに居るP.C.S.のスタッフを監視役にボートに乗せていけば可能である。釣りについては、今まで聞いた限りでは大変素晴らしい成果が得られるようだが、ダイビングについては、ポイントが開拓されていないため、実際どんなシーンに当たるかは潜ってみないと分からないというのが真相のようである。

 まさに、楽園の中の楽園というに相応しいカヤンゲルである。このカヤンゲル本島に、昨年4月に新しい桟橋が完成した。日本のODAによるもので、大変大きくて立派なものである。コロールでも見ないような立派な桟橋が、小さなカヤンゲル本島の真ん中から内湾に突き出ている。通常のダイビングボートで行くと、桟橋に上がるまで滑る階段を登っての作業となる。パラオ政府の要請で、カヤンゲルを観光の基地とするために建設されたとのことである。この桟橋の大きさに合わせて、回りの海底も浚渫され大きな船が着けるようになっている。この工事のために、水路を開き、そのためのダイナマイト使用などで工事中はかなり海に影響が出たようである。このサイズの桟橋に見合った船は、工事用の船舶以外は未だ着いたことがないだろうと思われる。又、観光開発するといっても、わずか住民100人強のこの小さな島に、一度にどれだけの観光客を連れて来るつもりであろう。一度に何十人もの観光客が来ることが続けば、あっという間に島の環境は変わってしまうだろう。そうなった時、観光客は何を目当てに来るのだろう。

 昨年9月、久しぶりにカヤンゲルを訪れた。桟橋の威容に圧倒された。
回りのボートがやけに小さく見える。桟橋の高さまであるようなボートはこの島にはない。桟橋は、男性たちの釣り場になっていた。子供から大人まで、何人もの人が釣り糸を垂らしている。島の人でも、釣りの上手下手はあるようで、人によっては小さなイワシだけでなく、そこそこの形のアジも釣れている。水深が深くなった分、形の大きめな魚も入ってきているようである。

 桟橋の袂から北側に少し入ると、工事に使った土砂、砂利が山となって積まれており、一部重機も放置されている。この土砂や砂利はどうするのだろう。これが雨や風で海に流されていけば、決して良い影響は与えないだろうと心配した。そうでなくても、美しい島の一部に汚れがついたようで何とも落ち着かない気持ちになった。内湾と砂浜とヤシの美しさが変わらないだけに、この島に似つかわしくない大掛かりな桟橋工事に疑問が残った。桟橋の一部は既にコンクリートが剥落してボルトが外れていた。

  (情報提供SARAガイドサービス)
−続く
                                          

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