PACIFIC WAY

       
FSMの大統領選挙

   小林 泉 (こばやし いずみ)

大統領選出の仕組み
 ミクロネシア連邦(FSM)では、3月初旬に国会議員選挙が実施され、5月に開催された臨時国会で、ヤップ州出身のジョセフ・ウルセマル(Joseph J. Urusemal)議員が歴代6人目の大統領に選出された。これから7月に予定されている大統領就任式を終えた後、9月ごろまでには新内閣や大使・公使などの政治指名人事が決まるものと思われる。
 FSM国会と大統領選出の仕組みは、次のごとくである。議会は一院制だが、議員は各州1名枠の4年任期議員4名と、州の人口比で議席数が割り振られた2年任期議員10名の計14名で構成される。各州の2年制議員の議席数は、チューク5,ポンペイ3,ヤップ1,コスラエ1。そして大統領、副大統領は、各州一人づつの4年制議員のなかから、議員投票によって選出される。正副大統領が選出されると4年制議員が欠員となるので、大統領を出した2州ではそれぞれ補欠選挙を実施して新たな議員を補充する。大統領選出、即組閣、そして新政権発足という具合に迅速にいかないのは、そのためである。
 このようにFSMの大統領になるためには、州での4年制議員に当選することが先決である。それを果たせば、50%の確率で正副どちらかの大統領になれるわけだ。とはいえ、この国には国家レベルの政党がなく、州同士の利害が政治の争点になっているから、議員総数6を有するチューク州が常に最大勢力として有利である。そこで、大統領職は各州の輪番制という大方の紳士協定ができた。特定の州だけで大統領職の独占が続けば、連邦制そのものの存続が危ぶまれることになるからだ。
 現職大統領として選挙戦に挑んだポンペイ州のファルカムが当選すれば、二期目の大統領職を務める可能性も低くなかったが、もう一人の有力対抗馬レシオ・モーゼス(前2年制議員・元州知事)に負けそうだとの予測が大方だった。ならば次の順番はチューク州で、ここで当選した4年制議員が新大統領になる。だから、ヤップ出身のウルセマル新大統領を予想した者はほとんどいなかったのである。当の本人も青天の霹靂だったかもしれない。では、どうしてそうなったのか?


チューク州での戦い
 今回の選挙では、早くから現職大統領の劣勢が伝えられていたため、グアムの日刊紙やハワイの月刊誌では、チューク州の4年制議員選挙が事実上の大統領選挙、つまり、ここでの勝者が次期大統領になるだろうと報じていた。実際に、現職副大統領キリオンと現職議長のジャック・フリッツという大物政治家同士の戦いだった。フリッツは連邦議会発足以来の2年制議員で、その間16年間も連続して議長職にあり、いずれは大統領になる男と思われていた。一方、副大統領になったキリオンが、ようやくチュークに大統領職の順番が回ってきたこの機会に、みすみす4年制議員の椅子を明け渡すはずはなかった。
 投票日直前の2月末、私はチューク州を訪れたが、州内は真っ二つにわれた選挙戦の最中だった。もともとフリッツとキリオンは、親戚同士である。だが、前者は日系三世、後者はアメリカ二世で、「これは日本とアメリカの戦いだ」などと選挙戦を面白がる人々にも多く出会った。
 ところがフリッツは、大きな政治的ハンデを背負っていた。昨年12月、突然に米国から公金流用容疑で告発され、米国の検察から逮捕命令が出たのである。しかし、米検察の要請を受けたFSMの中央警察が選挙運動でチュークに滞在中のフリッツの逮捕に向かうと、これに怒ったチューク州警察が逆に中央警察官を飛行場で逮捕し、その後に追い返すという事件が起こった。フリッツの容疑は、議長権限でチューク州に割り振った資金が当初計画とは別の用途に使われたというものである。フリッツ議長は、「議会の正当な承認手続きを経て行った行為であり、これが違法行為というのならば、大統領以下、全ての行政責任者が逮捕されなければならない」と主張し、堂々と裁判で戦うと宣言した。
 議長はその後一時的に首都ポンペイに戻ったが、その時は逮捕されず、その後も逮捕されていない。だが、フリッツとその支援者らは、この告発劇が選挙戦直前に突如起こったことに、政治的陰謀を感じていた。これは公金横領などの個人的汚職ではない。もし問題とされるならば、援助拠出側の米国と受領側のFSM政府との政府間問題である。なのに、米国から告発があった時、大統領と副大統領はFSM政府として議長を庇わずに静観していたからだ、というわけだ。実際に、フリッツが転ければ、キリオンは一気に大統領の椅子に近づく。だから、ライバルを蹴落とすためにキリオンが仕掛けたのか、あるいは偶然この時期にわき上がった敵失を好機と見て、助け船を出さなかっただけなのか。
 事の真相は、私には分からない。しかし、これにより、キリオン自身も大きく傷つくことになった。少なくともチューク州のフリッツ支持者たちの目には、アメリカに同胞を売った男、あるいは見殺しにした男と映ったからだ。議員たちの目も例外ではなかった。議会の大統領選挙でヤップ州選出のウルセマル議員を強く推したのは、他でもないチューク選出の議員だったのである。

大統領輪番制の出現
 予期せぬ大統領の出現。これにはウルセマル本人はもちろん、彼を送り出したヤップ州の酋長連中も驚いているだろう。この大統領の出現経緯は、ヤップ出身のハグレルガム議員が二代目大統領に選ばれた時とよく似ている。
 初代のトシオ・ナカヤマ大統領が二期8年務めて引退したとき、次はポンペイ出身のベスウェル・ヘンリーがやるという暗黙の了解ができていた。ヘンリーとは、信託統治下のミクロネシア議会当時から上院のナカヤマ議長に対して下院の議長を務めており、常にミクロネシアの政治をリードしてきた人物だった。二人とも温厚で人望が厚いよく似たタイプの政治家だったから、ナカヤマ政治を引き継ぐのにヘンリーは最適任者であるとの評判だったのである。チュークの次はポンペイ、その次はヤップ、コスラエと、人口の多い州の順に大統領職を輪番制にする。こうした紳士協定ができたのは、このときである。
 しかし、この取り決めはすぐに破られることになった。ポンペイでの4年制議員選挙で、ヘンリーは対抗馬のファルカム(前大統領)に負けてしまったからだ。長い間国政を担当していたヘンリーは、選挙には強くなかった。一方、元州知事のファルカムは、地元選挙区では人気者だったが、他州の議員にはすこぶる受けが悪かったのである。国会でいざ大統領を選ぶ時になって、「ヘンリーだから次はポンペイ州からと決めたが、ファルカムならば話は別。次はヤップ州の議員にしよう」となった。こうして、1987年に40代の若いハグレルガム大統領が誕生したのである。
 ヤップにとっては「なんとラッキーな」と思いきや、これには大統領自身もヤップ州内も、実は大変複雑な心境だった。それは、ヤップならではの州事情によるものである。

新大統領にヤップ人もびっくり
 ヤップ州は、ミクロネシアの島々の中で、最も保守的、伝統的な社会構造を残している。州内には幾つかの勢力区分があって、そこには伝統的権力を有する酋長たちが存在しており、社会習慣としての身分制度も未だに残っている。これらの伝統的力は選挙にも大きな影響を与え、今度は誰を国会議員として中央に送り込むかとか、州知事を誰にするかなどが酋長間で話し合われると、概ねそのようになる。そのため、他州における国会議員や州知事は、「伝統的な権力者(酋長)」に対して、近代政治制度下での「新たな権力者」という相克する位置づけになるのだが、ヤップにおいては文字通り「州民のための公僕」だとの感覚が強かったのである。だから酋長たちは、伝統的身分の高位者より、たとえ身分が低くとも実務能力に長け、他州の議員に混じってヤップ州益のために働く人物を国会議員に選んできた。実際に、ハグレルガムとウルセマルは優秀で優れた人格の持ち主だとの評価があるものの、二人ともヤップ州内では一段低い身分に扱われる離島の出身者だった。
 ヤップの伝統的身分高位者たちの心境が複雑だ、といった理由はここにある。つまり、ヤップ州から大統領が出るのは名誉なことだが、ヤップ選出の議員は、最高権力者である大統領になるべき人物ではなく、自分たちの公僕として中央政界に送り出したにすぎないとの思いがあったからだ。もし、今回の選挙で大統領の順番がヤップに来るのであれば、国家元首となるに相応しい別の人物を選んでいたのに、というわけである。そして議員自身もまた、それを自覚していた。
 実際に、ハグレルガムがFSMの二代目大統領となっても、彼はヤップ州内で実施される各種儀式やパーティーなどでは、高位酋長らより低位に位置づけられた。もちろん、権限や権力を振うなどということもできなかった。誇り高き酋長たちは、近代政治制度の最高位者といえども、州内では離島出身者を自分たちの上位に位置づけることを潔しとしなかったのである。結局、ハグレルガムは伝統指導者たちの絶対的支持を得られず、二期目の4年制議員選挙に落選して大統領の座を去った。
 順番狂いでヤップ州の議員が大統領に選出されたことで、私は16年前のことを思い出してしまった。だが、ウルセマル新大統領とヤップ州との関係が、独立直後のハグレルガム時代と同じにはならないかもしれない。伝統的、保守的な島とはいえ、ヤップ社会も徐々に変化してきているからだ。また、仮に出身州内で新大統領がさほど重んじられないとしても、ハグレルガム大統領がそうであったように、大統領職にとっては実質的な影響はそれほどないとも言える。というのも、首都はポンペイ州に位置しているし、中央政府と州政府の予算配分が自由連合協定の規定で定められているなど、両者の役割分担が明確化していて、大統領は州の影響を受けずに仕事を進められるからである。その分、新大統領にとって気遣いが必要なのは、チューク出身議員との関係だろう。6名を有する最大勢力であるうえに、本来であれば大統領を出すべき順番の州だったのだから。大統領はこれらに気を配りながら、これから組閣人事や政治指名となる高級官僚のポストを考えていくことになる。
 
駐日大使の転身
 ところで、駐日大使を6年間務め、現職のままコスラエ州の4年制議員に立候補したアリック・アリックも、大統領経験者であるジャコブ・ネナを破って当選した。アリックのアグレッシブな政治姿勢と40歳代の若さに期待が集まったようである。これで議会の中に強力な知日派が誕生したわけだが、そのために新たな大使が指名される9月頃まで、駐日大使は不在となった。
 チュークの4年制議員選挙でキリオンが勝利したことで、私はアリックが新人議員ながら副大統領になる可能性が高まったと思った。その理由は、こうである。キリオンは、フリッツとの激しい選挙戦の後遺症により、チューク選出の議員から完全支持を取り付けられないと予想されるので、大統領の目は消えた。だから、大統領はヤップのウルセマルになる。とすれば、ポンペイかコスラエのどちらかの州から副大統領が出るが、ポンペイの2年制議員ピーター・クリスチャンが議長職を狙っており、これが実現すれば、ポンペイが副大統領職と議長職を独占するわけにはいかなくなる。であれば、必然的に副大統領職は、コスラエの4年制議員であるアリックにまわってくるではないか。これが私の予想だった。
 しかし、実際にはこのようにならなかった。大統領当選への確信から、副大統領であれば受けないと言っていたキリオンが、再び副大統領に就任したからである。アリック大使離日の直前、私はこれから始まる議会での大統領選挙について、「大使が副大統領になる可能性は低くありませんよ」と予想した。彼はニヤッとして否定も肯定もしなかったが、「できれば行政職にはつかず、地元コスラエとFSMのために一議員として働きたい」と言った。というのも彼は、大学時代ならびに外務省に入ってからの約20年間の大半を外国で暮らしていたため、地元コスラエでは馴染みの薄い存在だった。だから、行政職につけば地元との直接的関係が薄れ、次の選挙に勝てるかどうか分からない。そこで、副大統領職より地元での盤石な選挙基盤づくりを優先させたいと考えたのである。
 アリックの狙いは、副大統領ではなく大統領。まだ若い彼が4年制議員であり続ければ、将来必ず大統領になる機会が訪れるからだ。そうした戦略からすれば、この国会でアリックが副大統領にならなかったことは、彼の希望通りの成り行きだった。「これで良し、これで行ける」と自信を深めた彼の声が聞こえるようである。
 
連邦国家としての政治
 FSMは独立から17年目を迎えたが、「4州一体になった国家意識の形成」という意味で言えば、この国はまだまだ完成途上にある。国会議員の政治活動も、基本的には州単位の利害を背負っており、州の壁を越えた政策集団、所謂政党の形成という段階にはいたっていないからである。
 だが、文化、言語など4州が独立して存在するという連邦国家の実情を見れば、単に時間的経過が州の壁を取り除いていくというものではないように思われる。独立して一つの国家をつくったとはいえ、4州の間での生活レベルでの人的移動、交流は起こっていないし、中央政府での役人集団を除けば、巨大な都市化現象によって一カ所に各州から人が集まるという現象も出現していないからだ。民衆の生活レベルでは、依然として島ごとの生活が続いている。そして、こうした基本状況はこれからも変わらないように思えるし、ことさら変える必要性があるとは私には思えない。政治家もこの現実を背負っているから、政党形成だとか政策集団化を志向するという方向に向かわないのだろう。これは意識するしないに拘わらず、むしろ賢明な選択に思える。無理な統一や一体化を強要していくと、メラネシアの国々に見られるように、かえって国内に深刻な対立や紛争の火種をつくることにもなりかねないからだ。FSMの場合は、政治だからいろいろあるにせよ、結局のところ特定の州が大統領職を独占することなく各州の輪番制が実現してきた。それは、国会議員の総数が14という、個別に十分意志の疎通ができる程度の規模だったからだ。独立以来、強権的政治手法で深刻な事態にまで議会が紛糾したことはなかったし、金銭に関わる政治スキャンダルにまみれた大統領も出ていない。4州の協調と相互の監視機能が働いた結果だが、その意味では、この政治制度が一応のところ順調に機能してきた証しであろう。
 しかし一方で、国家としての意思決定の遅さや中央政府と州政府の不整合性の問題がしばしば指摘されてきた。これは、大統領としてのリーダーシップが州レベルにまで及ばないというFSM的な連邦国家として弱点の露呈でもあった。それゆえ、各州の独立性維持と国家的統一という独立以来の矛盾を如何に克服するかが、依然としてFSMに突きつけられている重要な政治課題だと言えるだろう。
 
 
 
ミクロネシア連邦議会での議員役職(2003年5月11日の決定)
 
Executive Branch
Joseph J. Urusemal (Yap)    President 
Redley Killion (Chuuk)     Vice President  
              
13th FSM Congress
Peter Christian (Pohnpei)     Speaker
Claude Phillip (Kosrae)     Vice Speaker
Henry Asugar (Chuuk)     Floor Leader
                 
Chairman of Committees
Sabino Asor (Chuuk)     Ways & Means
Dohsis Halbert (Pohnpei)    Juduciary & Government Operation   
Isaac Figir (Yap)       External/Foreign Affairs
Alik Alik (Kosrae)       Resources & Development   
Moses Neslon (Chuuk)     Transportation, Communication & Infrastructure 
Resio S. Moses (Pohnpei)    Health, Education &Social Affairs  
 
4年制議員補欠選挙当選者
Peyal R (Yap)
Jack Fritz (Chuuk)
 
(注)正副大統領への転出で欠員となったヤップ、チューク両州の4年制議員補欠選挙が7月1日に行われ、ヤップでは新人ペイヤル・アール、チュークでは前議長ジャック・フリッツが当選した。