PACIFIC WAY

ミクロネシア紀行

    旅してみれば−美しのパラオ

      <18>マングローブの水路・アイライ

上原 伸一(うえはら しんいち)

 前回これにて本島の旅はおしまい、今後は離島の旅を紹介していきたいと書いたが、もう1カ所本島に付随した旅を紹介したい。

 アイライ州の南東端に広がるマングローブの林の中にボートが通れるだけの水路が開かれている。周囲の水深が浅く、満潮時でないと現在のエンジン付きのボートは通過する事が出来ない為殆どの観光客が通過したことがないところである。更に、現在はマルキヨクやエサールの東海岸の町へも車で行く事が出来る様になっている。まだ道の悪いところがあるが、工事中のコンパクトロード(コンパクト締結に伴いアメリカの負担で建設されるバベルダオブ周回舗装道路)が完成すれば、観光客やビジネスの人達がこの水路を利用することはなくなると思う。マルキヨクへ行こうとした場合、今のところはむしろ陸路よりも、ボートによる海路の方が便利で楽だと言えるかもしれない状況なので、仕事や観光でマルキヨクを訪れる人はボートを利用するケースが少なくはないはずである。その際に、たまたま満潮でボートオペレーターが水路をよく知っている場合には、幸運にもこのマングローブの水路を通ることがあるかもしれない。しかしながら、最近のボート(特に観光客やビジネスマンなどが利用するボート)は大型で強力なエンジンを装備しており、少しぐらい近道になるからといってわざわざ浅瀬を通るよりは、リーフの外を回る方がスピードが出せて結果として早く目的地に着くことができるので、まずはこの水路を使うことはない。

 マングローブが自然を守る役目を果たしており、とりわけ海の環境に対しては陸から流れ込んで来る様々なものを濾過する役目を果たすと共に、多様な海の生物の誕生の地として南の海の“母”の役目を果たしていることは広く知られるようになって来た。そのため、道路工事を始めとする工事の際に「マングローブの林を切るな」と言う事がここ10年位の間にかなり強く言われる様になった。それでも、何らかの工事があればマングローブは必ず影響を受けている。現在のところ、バベルダオブ本島周辺のマングローブは十分な生態系を保っている。今進んでいるコンパクトロードの工事や今後本格化することが予想されるゴルフ場建設工事などによりこの見事なマングローブ林もどのような影響を受けるか分からない。潮の具合を見て、小さなボートを雇い半日を使えばマングローブの林の圧倒されるまでの密集度を実感し、豊かな海を生み出す自然の“母”の懐を覗き見る事が出来るのは今のうちかもしれない。という訳で、今回は本島編の特別付録としてアイライのマングローブの水路を紹介する。

 コロールをボートで出発し、Mドックの先端に作られたコーラルリーフセンターを左手に見て東に進むと旧ニッコーホテルの建物がこれも左手に見える。さらに東へ進み、コロール島を抜けると、左手奥に昨年末に完成したばかりの新K−B橋が見える。1996年に崩落した旧K−B橋の海からの眺めもなかなかのものであったが日本の全額援助で作られた新K−B橋は一段と優美な姿である。左手の大きな島は、バベルダオブ本島である。位置的にはアイライ州の沖合になる。本島から突き出ている半島の様な陸地が見える。通常、ボートはこの半島の沖合を回って東へ進みリーフの外側を北上してエサールやマルキヨク或いはオギワルといった本島東海岸の町に向かう。しかし、今回はこの半島の中ほどへと突き進んで行く。中ほどへ進んで行くと、湾のようになっている箇所に突き当たる。この一角には、かつての日本軍の航空機が沈んでいる。いわば観光名所ともなっているロックアイランドの零戦とは違って、地元の人は知っていても観光客が訪れることはない。湾の奥、陸地に突き刺さるように沈んでいる。零戦よりは一回り大きな飛行機であることは分かるが、いかなる機種かそういう方面の知識を持ち合わせていない筆者には全く分からない。水深は浅く、1〜2メートルだが、上に木の影が覆いかぶさるような湾の奥で、水底も砂であるため透明度は良くない。ロックアイランドの零戦も無残な感じがするが、明るく開けた場所にある分あまり陰湿な感じはしないが、ここの水中に沈む日本軍の航空機はいかにも陰湿で、潜って様子をチェックしていても何となく薄気味悪い気持ちがする。チュック(旧トラック)諸島で数多くの沈船に潜って来たプロのカメラマンも、「何となく気持ちが悪い。」と語っていた。湾の奥に突き刺さるように沈んでいるのに、正面のプロペラが陸地に向けてではなくて海に向いているのがいかにも不思議で、一体どういう状況でここにこのように沈んでいるのか理解出来ない。この航空機の沈んでいるすぐ近くの部分が半島の真ん中を通過する水路になっている。この一帯も水深があまりないので、地元のボート以外は通らない。周囲では小魚を捕っている船も見られた。この水路が、人工的に作られた水路なのか、元々半島ではなく陸地の突き出た先にある島が半島のように見えるだけなのか、はっきりしたことは分からない。ただ水路の幅はせいぜいが数メートルしかない。

 ちなみに、この水路の南側の陸地の一角で昔はヤップの石貨が切り出されていた。有名なヤップの石貨は、ヤップで作られたのではなく、はるばる海を隔ててパラオまでやって来て切り出して行ったものである。当然ながら、当時においてこの石貨切り出しの旅は命懸けのものであり、それだけ石貨の価値は高く、今でもヤップでは通用している(新しい石貨の作製は行われていない)。

 さて、この水路を通り抜けてさらに東に向かうと北側の本島沿岸には緑の森が見える。これはすべてマングローブの林である。林といっても、ジャングルのように入り組んでおり、ボートどころか歩いてでも中に入っていくことは並みの人間にはできない。しばらく東に行きアイライの港を過ぎるとますます水深が浅くなっていく。干潮時にはとてもボートが通ることは出来ない。従って、ここを通ろうとするときには、必ず事前に潮の時間をチェックしておかなければいけない。干潮につかまってしまったら、潮が満ちてくるまで何時間も待たなければならなくなる。港に戻るのが夜になってしまい遭難騒ぎを引き起こすかもしれない。この浅瀬を進んでいくと、両側を緑のジャングルに挟まれた小さな湾のようなところに達する。両側のジャングルはマングローブの林である。一番奥のところで、マングローブが少し切れているところがある。ここが今回の旅の目的地、アイライのマングローブの水路の入り口である。水路に入ると、左右はまさに鬱蒼たるマングローブのジャングルである。水面から50センチから1メートル位まではマングローブの根が絡み合っている。その上はマングローブの幹、枝そして葉の緑、緑である。マングローブの林の懐の深さに思わず圧倒されてしまう。水路の幅は3、4メーター位でボートがすれ違いすることが出来るだけの幅は確保されている。水深は数十センチで、場所によっては気をつけないとスクリューが水底に着いてしまう様なところもある。水路は曲がりくねっていて、先の見通しはつかない。ボートとすれ違う際は、向こうからボートのエンジン音がして来るので、水路の右側に寄せてすれ違いがしやすいようにする。地元の人がコロールに向かうボートに何台かすれ違う。皆、和船タイプの小さなボートで、水路を知り尽くしているのであろう、かなりのスピードで走ってくる。すれ違いの時には、お互い笑顔で手を振りあっている。

 日当たりの良い場所では、若木が育ってきており、水面に若々しい緑が広がっている。場所によっては、水面から2メートル強ぐらいのところに花が咲いている。ジャングルに全面的に花が咲いている訳ではなく、花の咲いているところは所々に固まっている。又、既に実になっていて、種子が水面に落ちようとしている光景も何カ所か見られた。花、実、種子、若葉そして鬱蒼と生い茂った大樹まで全ての状態のマングローブを見ることが出来る。私の様な植物音痴でもその生命力に圧倒される。これだけの自然が残っていることに、それもその真ん中に生活水路が通っていながらマングローブの生態系そのものを傷つけることなく、人々の生活の便と海の豊かさの源であるマングローブとが素直に結び付いていることに感激し、改めてパラオの懐の深さをしみじみと感じさせられた。水路の途中ところどころに水路に張り出し過ぎた根を切った跡や、林のちょっと奥の方にもマングローブを伐って焼いた後などがあり、今なお水路として使うために手入れをしている事が窺える。

 かつて動力がなかった時代に、伝統的なカヌーでパラオの人々はこのマングローブの水路を通って行き来していた事であろう。当時、カヌーは手で漕ぐか、帆を張って風を利用して進むしかなかった。少し風が吹くと、リーフの外側は相当に荒れる。カヌーでの航海はなかなか困難なことであったろう。一方で、カヌーは水深が浅い所でも通ることが出来る。この水路を使えば東海岸とコロール間を殆どリーフ内だけの航海でつなぐ事が出来る。南の海の生物たちに誕生の場を与えると共に、パラオの人々に穏やかな水路を提供してきたのがこのマングローブのジャングルであった。ボートのスピードを落として、ゆっくりと水路を進んでいくと、曲がりくねった水路の回り込んだ向こう側から、昔のカヌーの水音が聞こえてきそうな気になる。

 実際、水路の途中には片側が岩の壁になっているところがあり、その岩の壁の窪みには、人が岩を掘った跡や、火を燃やした跡が残っている。焚火の後はつい最近と思われるものもあり、人々がここで休みを取ったのか、あるいは何らかの祈りを捧げるための火であるのか、判然としない。我々のボートオペレーターは、こちらの出身ではないので元々この水路のことすらよく知らなかった。マルキヨクの人の話を聞いたこともあるが、はっきりとした事は分からなかった。ちなみに、この水路の東海岸側の出口近くの山には小さな金の鉱脈があり、かつては金の採掘が行われていた。

 水の中を見ると、砂の上に柔らかい茶色い土が溜まっており、さらに場所によっては落ち葉が積み重なっている。豊かな自然の営みを垣間見ることが出来る。水そのものは、マングローブの根で濾過されているので、透明であるが、上からちょっと見たときには、底の土の色が透けて見えて、思わず茶色い水かと思ってしまう。更に、ボートの動きで底の土が舞い上がるとしばらく水は濁ってしまう。水中、マングローブの根の回りには、様々な小魚がいるようである。1メートル以上になるバラクーダの幼魚もここで成長するのではないかといわれている。ボートの上からも、ハゼのような魚やウミヘビなどを見る事が出来た。

 水路は、ところどころで枝分かれしている。ちょっと行くと、行き止まりになっているところもあるし、だんだんと遅くなってどこへ続くのか分からない路もある。水路に詳しくない我々は、幾つか迷いつつ、メインの路を通って、東海岸側に出る。東海岸側出口のすぐ手前のところに、石積みの桟橋が出来ている。その桟橋の横には昔ながらのパラオの石畳の道が見える。ここからその路を通って少し行くと、アイライの東南端の村に到着する。桟橋には一軒の家が建てられており、洗濯物が干してあるところからここで生活している人が居る事が分かる。

 普通に走れば今のボートならば、15分前後の旅である。ゆっくり回っても30分から1時間あればマングローブを十分に堪能する事が出来る。都会に暮らす現代人にとっては、この水路を通ること自体が癒しの旅になるのではないかと思われる。一度機会があれば、是非試して頂きたいとお勧めしたいところではあるが、一方であまり多くのボートが行き来しては、せっかくの自然が荒れてしまうと心配になる。とはいえ、大きめのボートでは通行が難しいし、いずれにしても満潮時でないと通れないことを考えると、通行量の増大による自然破壊はそれほど心配しなくても良いのかもしれない。筆者自身がこの水路を通ったのは3回である。一度目はマルキヨクへ行くためにたまたま通ったもので、その時はまさに感激と驚きであった。後の2回はこの水路をチェックし、ビデオ撮影するためであったが、水路に詳しい地元の人が同行していなかった為、全体の水路の状況をきちんと把握するまでには至っていない。バベルダオブ本島の開発が進み、周囲のマングローブの林に影響が出てくる前に、もう1度、今度は地元の先達と共に訪れてみたいと思っている。