PACIFIC WAY
2002年パプアニューギニア議会選挙の分析

―非民主的選挙の原因と結果に対する考察を中心に―

日本大学国際関係学部講師
 玉井 昇(たまい のぼる)

はじめに
 
 2002年6月、パプアニューギニアでは5年ぶりに総選挙が実施された。今回の選挙では、定数109の議席に対し、総計で43を数える政党各々に属する者や党公認の候補者、および無所属候補あわせて2875人が争うという候補者乱立状態となった。しかも選挙実施に先駆けて、政府と選挙管理委員会の間の運営資金拠出をめぐる確執が選挙の実施を遅延させ、一部辺境の地では実施そのものを不可能にした。さらに投票、開票をめぐっては各地で不正、脅迫、略奪、放火、暴力が相次ぎ、すくなくとも30人の死者を含む多数の犠牲者をだす結果となった。こうした結果を受けて、地域の専門家やメディアは「過去最悪の選挙」となったと酷評している。

 そうした混乱の中、8月5日に1975年の独立当時首相を努めたソマレ氏が首相に再び選出され、新政権が誕生した。しかし、とりわけ非民主的な選挙となった南ハイランド州では6議席に関する選挙が無効とされた。この結果、同6議席は依然として空席のままであり、実質的には今回の選挙が完了したわけではない。この結果は候補者とその支持者たちの不満を募らせ、現在も同地域を不安定な状態にしているのである。

 しかしながら、こうして現在なお論争を呼んでいる2002年のパプアニューギニア選挙に関して、わが国では残念ながらほとんど関心の目がむけられていない。事実、各紙新聞紙上でも、8月にソマレ政権の誕生の事実のみの記事を掲載する程度であり、過去最悪といわれる非民主的選挙の実態、およびその後の動向に関しては全く言及されていないのである。そこで本稿では、海外の各メディアによる報道を参考に、過去最悪となった選挙経過の実態の一例を紹介し、その原因およびその後の動向を通してパプアニューギニア選挙の抱える課題について分析をおこなうものである。

1. 選挙結果の概要

 パプアニューギニア(以下PNG)の議会は、一院制で定数109、その任期は5年である。議会を構成する109名の議員は、20名の地方代表議員と89名の国民代表議員からなる。すなわち、PNGを構成するブーゲンヴィル州、セントラル州、シンブ州、イースト・ニューブリテン州、イースト・セピック州、イースト・ハイランド州、エンガ州、ガルフ州、マダン州、マヌス州、ミルネ・ベイ州、モロべ州、首都特別行政地区(National Capital District Provincial)、ニューアイルランド州、ノーザン州、サザン・ハイランド州、ウエスト・ニューブリテン州、ウエスト・セピック州、ウエスタン州、ウエスタン・ハイランド州の地方区から各1名づつ、総計20名が州代表として議員に選出される。他方、残りの89議席は、全国区として89の選挙区から各1名づつ選出されるのである。
 こうした選挙方式の下、2002年6月15日に総選挙のための投票が開始された。今回の選挙では、投票および開票をめぐって暴力、不正、脅迫など様々な混乱が生じ、選挙結果の確定が大幅に遅れた。しかしながら、8月5日の議会召集を目前に控えた8月2日、選挙管理委員会(Electoral Commission)によって選挙の最終結果が確定された。最終的に確定されたこの選挙結果による各選挙区からの当選者とその所属政党は表1の通りである。

表1.当選者と所属政党一覧

 今回の選挙結果を政党の観点から見れば、前政権を担ったモラウタ(Morauta)前首相率いる人民民主運動(PDM)は、前回の1998年の選挙で獲得した38議席対し、このたび12議席と惨敗した。他方、第一党となったのはPNG独立当時の1975年から1980年および1982〜1985年に首相在職経験のあるソマレ氏率いる国民同盟党(NAP)である。しかし、第一党とはいうものの、その議席数は19議席にとどまった。これは全体のわずか18パーセントを占めるに過ぎない。NAPとPDMに次いで人民向上党(PPP)が9議席、人民行動党(PAP)と人民労働党(PLP)がともに5議席で、メラネシア同盟党(MAP)、パプアニューギニア連合党(PNU)、統一党(UP)、キリスト教民主党(CDP)、人民第一党(PFP)およびパプアニューギニア国民党(PNP)がそれぞれ3議席と続き、その他2議席以下の政党が11も存在している。

図2 政党別議席割合 

          
*ただしグラフ中のパーセンテージの数値に関しては、小数点以下を四捨五入にて作成。
 
 すなわち、総計22を数える少数政党が議会を割拠し、乱立する状態となった(図2を参照)。したがって、連立して政権を担うにあたり、世界各国の連立政権に一般的に見られるような2〜3の政党と連立するといった図式が成り立たない。今回の結果からすれば、少なくとも6政党以上が連合しなければ過半数を満たすことが不可能である。また、全体の17パーセントに相当する17議席に無所属議員が選出されたこともPNGにおける未成熟な政党政治を象徴している。

 結果として、第一党となったソマレ氏率いるNAPは、モラウタ前首相のPDMと連立して前政権を構成していた政党をも含むPPP、PAP、MAP、PNC(人民国民会議党)、URP(統一資源党)、PNP(パプアニューギニア国民党)の計6政党の支持を集めた。そして、最終結果が確定する前の7月18日の時点で、同6政党と連立に関する合意文書の署名を成し遂げた1)。その後、ソマレ氏は残りの少数政党および無所属議員の支持を集め、最終的に議会で行われた首班選挙の結果、88票の賛成をもって8月5日首相に選出された。

 こうして一応、政権の体裁を整えたソマレ政権が誕生するに至った。しかしながら、不正と暴力の結果、サザン・ハイランド州では、きわめて非民主的な選挙となった6議席が、選挙管理委員会によって無効とされた。現政権は同6議席を空席にしたまま発足されたのである。
 
2. 選挙における非民主性の実態
 
 サザン・ハイランド州における6議席の選挙結果の無効は、「過去最悪の結果」と言われるPNGの非民主的選挙を象徴的に表わしている。すなわち、無効が宣言されたカグア−エラヴェ(Kagua-Erave)、コモ−マガリナ(Komo-Magarina)、コロバ−レイク・コピアゴ(Koroba-Lake Kopiago)、インボング(Imbonggu)、タリ(Tari)の各選挙区の有権者たちは憲法で保障された選挙権を剥奪されたに等しい。また、形式的には当選者が確定した103議席の中でも、その過程の中で不正、脅迫、暴力他、数々の非民主的な行為がなされた選挙であったことが報告されている。そんな非民主性の実態をまとめれば、以下のようになる。

 第一に今回の選挙結果が最悪のものとされる要素の一つには、投票と開票における不正が挙げられる。まず、投票における不正行為の一つは、一人の有権者が何回も投票を行う多重投票である。通常PNGの選挙では、投票を行った者は、腕に投票済みを表わすインクの印がつけられる。しかし、選挙管理委員会の報告によれば、漂白剤を使ってそのインクを完全に消し去り、一人で2〜3回投票を行った者が数多くの選挙区に存在するとされている2)。さらにウエスタン・ハイランドにおいて、前議員のポール・ポラ(Paul Pora)氏ら再選挙の実施を求めるグループによれば、候補者の中には他の州や選挙区から自分の支持者を自分の選挙区に移動させ自分に投票させた者まで存在するとされる3)

 こうした不正な多重投票が行われた結果、いくつかの選挙区では登録された有権者数と実際の投票数の数が釣り合わないという事態が生じた。とりわけそうした不正の結果が顕著に現われたのはエンガ州である。現地のザ・ナショナル紙によれば、エンガ州では最近行われた2000年の国勢調査では州の人口総数が295,031人であった。この数値は未成年者を含むものであるから、当然ながら有権者はこの数値を大きく下回る。しかしながら、今回開票された投票総数は2000年時の総人口数をはるかに超える317,213票であった4)。同時期にエンガ州で大規模な人口移動が起こったという事実は存在しない。仮に人口が増加したにしても、わずか1年と数ヶ月足らずでここまで急増したとは到底考えられないのである。

 さらに開票に際しても、警護にあたる警察官や集計を行う職員による多くの不正行為があったのではないかと疑問視されている。すなわち、投票終了後集計所への投票箱の輸送や保管の警備にあたる警察官の中には、特定の候補者に通ずる者も存在したことが明らかにされている。たとえば、北東モレスビー選挙区では6月21日、数人の警察官が保管されていた投票箱の一部を持ち去り、今回当選したPDMのキャスパー・ウォロム(Casper Wollom)議員のもとへ運んでいたことが明らかにされている5)。さらに250を超える投票箱が消失したサザン・ハイランド州でも警護者の不正関与が明らかにされている。たとえば選挙の無効が宣言されたタリ(Tari)選挙区では、投票箱を盗んだ罪で5人の兵士が武器を押収され、身柄を拘束された。彼らは、特定の候補者を支持する派閥に属し選挙期間中様々な不法行為を行ったいわゆる「ダーティ・ダズン」と呼ばれる不忠実な兵士たちの一部であるとされている6)。他方、集計職員の不正行為の実態は明らかにされていないが、選挙管理委員会のレウベン・カイウロ(Reuben Kaiulo)委員長によれば、とりわけパートタイムの職員を中心に特定の候補者に荷担した者も多数いると推測されている7)

 第二に、今回の選挙では、真の有権者の一部が選挙権を行使できなかったり、逆に権利を有しない者が選挙権を与えられていたことが報告されている。この非民主性の要因は、選挙で使用された不正確な有権者名簿に起因する。すなわち、今回使用された有権者名簿は主に1997年のものを中心とした古いデータに基づいており、結果として既に死亡している者が依然として登録されていたり、逆にここ数年の間に有権者としての年齢に達した若い世代が未登録であった。こうした問題が顕著であったブーゲンヴィルでは、登録上のミスで数千人が投票を行えなかったとされる。とくに深刻な状況にあったバマ−ナゴヴィス(Bama-Nagovis)地区では推定4千人が選挙に参加できなかったと現地担当の選挙管理委員会のトマース・イトナ(Thomas Itona)委員は証言している8)。こうして真の有権者であるにもかかわらず投票ができない者がいる一方、同一人物が複数登録されていた事実も存在する。ロビー・ナマリウ(Rabbie Namaliu)前首相は二つの選挙区で自分の名前が登録されていたことを語っており、彼の妻は3つの選挙区で自分の名前を見つけたという。さらに驚くべきことには、中には12歳の少年までが自分の名前が登録されていたのを見つけている9)。こうした事実から、単に有権者名簿の不正確性ばかりでなく、数多くの不正な改ざんが行われたのではないかという疑念が抱かれている。

 第三に、今回の選挙が過去最悪といわれる最大の要因として、選挙を通しての脅迫と暴力的行為が繰り返し行われた結果、多数の犠牲者が生じたことである。すなわち、各地で投票が開始され始めた6月18日、ウェスタン・ハイランド州のハーゲン(Hagen)地区で複数の候補者の支持者間で斧、ナイフや銃を用いた闘争が起こり、4人が死亡し多数の負傷者を生じた10)。こうした支持者間の対立は時に候補者を擁立する部族間の闘争にも拡大し、選挙以前から続く確執を増幅させた。たとえば、シンブ州のグニメ(Gunime)では、選挙をめぐって起きた対立する部族間の闘争の結果、6月21日に14歳の少女が銃撃に巻き込まれ死亡した。少女の属する部族はその部族に報復攻撃を行い、10の民家が全焼し、混乱の最中7人の女性がレイプされたことが報道されている11)。選挙開始後1週間の間で、合計9人の選挙に関係する死亡者が警察によって確認された12)。当初2週間の予定であった選挙が各地で延期され、7月に入ってからも投票が続く中、暴力行為に拍車がかかり、さらなる犠牲者を生んだ。エンガ州では、一人の候補者が口論となった投票者2人を銃で殺害し、警察に拘束された13)。一連の選挙にかかわる暴力事件の結果、8月上旬までに確認されたものだけで死者30名を数えており、負傷者の数は確認されていないが相当数にのぼることが予想される。また、カイウロ選挙管理委員会委員長の証言によれば、投票所の警備の薄さから、銃で脅迫されて投票させられた者や、不正を加えるよう脅迫された職員が多数存在すると予測されている。しかしながら、彼らは報復を恐れて名乗り出ること躊躇しているという14)

 さらに、数多くの未開票の投票箱が運送中や保管中に攻撃されて消失し、多くの死票を生ぜしめた。たとえばエンガ州のワペナマンダ(Wapenamanda)では7月2日投票所の近くで起こった口論で制止しようとした一人の男性が鉈で腕を切られ、口論をしていた者たちによって2つの投票箱が破壊された。ミナンブ(Minamb)でもエンガ州選挙区の投票箱が盗まれた後破壊されたとされる15)。さらに7月12日にはワバックに投票箱を輸送していた護送車が武装集団に襲撃され、警察との銃撃戦の中で、護送車に火炎瓶が投げつけられた16)。同じく7月中旬、高性能のライフル銃を携帯したおよそ50名からなる武力集団が、ワバック(Wabag)の警察署に突入し、出勤していた4人の警官を車の中に監禁、保管されていた投票箱をヘリコプターの燃料を使って焼失させた17)。同地域を担当する選挙管理委員会のボキ・ラガ(Boki Raga)氏によれば、この事件で少なくとも3万票が死票と化したとされる18)。投票箱に対する一連の略奪、破壊行為でおよそ250の投票箱が消失し、その結果数10万人もの住民が選挙を通して意思を表明する機会を奪われたことになるのである。

3. 非民主的選挙の原因の所在
 
 今回の選挙が非民主的な結果をもたらしたことの原因として、一部の有権者、政治家、選挙運営職員、警察官、PNG国防軍兵士の倫理性の欠如、さらには政党政治の未成熟性、または選挙に関係なく伝統的に存在する部族間の確執などが挙げられるのはいうまでもない。しかし、これらの要因は今回に限ったことではなく、過去の選挙でもすでに認識されていることであり、間接的な要因に過ぎないと考えられる。ではなぜ2002年の選挙が過去最悪の非民主的な選挙となってしまったのであろうか。今回の選挙に限って見る限り、その最大の要因は、資金不足から生じた不充分な選挙管理委員会の運営能力と警察による警備体制にあると思われる。

 そもそも資金不足という事の発端は、モラウタ前政権と選挙管理委員会の対立から生じていた。すなわち、2002年4月、モラウタ前首相は選挙管理委員会の選挙人名簿の不適切性を理由に、今回の選挙の延期を求めて国立裁判所(National Court)に提訴していた。その訴えは同裁判所によって退けられたが、モラウタ政権は委員会の選挙人名簿の扱いを非難し続け、資金の支払いを留保した。そして、選挙直前の6月はじめ委員会の予算が削減され、政府から支払われた。選挙管理委員会のカイウロ委員長は予定通り選挙を実行できないと激しく非難したが、すぐに投票日を迎えることになったのであった19)

 その結果、予定された6月15日に投票が行われたのはセントラル州の1地区でのみであり、委員会の職員が投票箱と投票用紙もって任地に赴くのが大幅に遅れた20)。たとえば、ブーゲンヴィルでは選挙資金が遅れて到着する一方、他方ではポートモレスビーの選挙管理委員会本部でアレンジされ、職員と投票資材を各地に輸送する予定であったヘリの一団がブカに到着することはなかった21)。このため職員たちは急きょ陸路トラックで移動することを試みるが、トラックの所有者たちが賃金の前払いを要求したため即座に出発することができず、投票の開始が大幅に遅れたのであった22)。この他にも、辺境のハイランド諸州各地に人員と選挙資材を輸送する予定であったパシフィック・ヘリコプター社が賃金の支払いをめぐって運送を撤回した。そのため、トラックやボートを代用する際、賃金の前払い要求がなされ、同様に大幅な遅れが生じた。そして、イースト・ニュー・ブリテンの辺境の村々やウエスタン・ハイランドのマムシ(Mamusi)地区などには職員がたどり着けなかったとされている23)。こうした一連の投票の延期や中止は有権者たちの不満を募らせ、不正、脅迫あるいは暴力を誘発させる大きな要因となったといえよう。

 こうして有権者の不満が増大する中で、さらに警察による警備体制の不充分さが非民主的な選挙を防止するのを困難にしたといえる。すなわち、やはり資金の問題から選挙の監視にあたる予定であった警察官の人数が大幅に削減されたことが、不正、脅迫、暴力行為の実施を可能にしたのである。たとえば、ブーゲンヴィルでは383名の警官が監視にあたることが予定されていたが、実際に任務についたのは81名に過ぎなかった。このため一人の警察官が5〜10もの投票所を監視しなくてはならないことになった24)。さらに武装集団との激しい銃撃戦も起こったハイランド諸州では、一部の警官たちが任務の危険性を訴え、特別な報酬を要求して警備の任務を拒否する事態までもが起こった25)。また、数多くの集計所でパートタイムの職員たちが賃金の前払いを要求し、開票が中断され、当時のPNG議会のナロコビ(Narokobi)議長がその仕事をボランティアが引き継いでくれるよう訴える始末であった26)。しかしながら、安易にボランティアに任せれば、不正や改ざんを企む者を惹きつける結果となろう。投票ばかりでなく開票までもが遅れたことで、警察による不充分な警護体制の下、保管されている投票箱が不正や攻撃の対象となったと推察できる。

 しかし、上述のように政府の運営資金削減と支払いの遅滞に非民主的選挙結果の原因を見出す一方で、他方では選挙管理委員会もその準備段階での責任を免れないように思われる。すなわち、モラウタ政権が非難したように、選挙管理委員会は、資金面での問題はあったにせよ、十分な時間があったにもかかわらず有権者名簿を適切な内容に改訂せず、古いデータ−に基づく不正確なものを今回の選挙で用いたことには疑いない。すなわち、今回の名簿には数多くのすでに死亡している者や、資格を有しない年少者までもが登録されていた。他方では、今回投票年齢に達した若者たちを中心に、かなりの数の真の有権者が投票名簿の記載から漏れていたため、投票を行えなかったことは先述の通りである。こうした不正確な名簿に基づく選挙の実施が、有権者たちの不満を増大させ、不正や暴力の行使を引き起こした最大の原因と捉えることが可能であろう。
 
おわりに
 
 以上の考察のように、今回のPNG選挙が過去最悪といわれる非民主的な結果に終わったことの主たる原因には、政府と選挙管理員会の選挙名簿をめぐる対立から生じた運営資金不足と拠出の遅れにあるといえる。すなわち、十分な準備期間があったにもかかわらず資金不足を理由に正確な有権者名簿を作成しなかった選挙管理委員会と、予算の削減や拠出の留保という形式でしか委員会に名簿の改訂を求められなかった政府との双方の対処方法が、最悪の結果を招いた主要な要因であると結論づけられるのである。

 今回の選挙結果によってアジア開発銀行、最大の援助国オーストラリア、その他国際社会の信頼を失ったPNGは、同国の通貨キナが空前の最安値を更新しつづけ、独立以来最大の経済危機に瀕している。このたび発足したソマレ政権は、経済再建をその主要課題としながらも、現在具体的な政策や回復の見通しが立っていない。また、暴力の行使により多くの犠牲者を生じ、都市機能が停止させられたハイランド諸州の都市では、依然として暴力行為が続き、その復旧に手間取っている。そのため、ソロモン諸島が2000年のクーデターで経験している現象と同様に、物資の不足から物価が高騰し、住民たちの不満がますます高まっている27)。このため、治安の回復後に予定されているサザン・ハイランド州の6議席の再選挙に関しても、2002年11月現在、依然として実施されていない。
 
 今後の課題としては、過去最悪と呼ばれる今回の選挙の反省とその後の国家の存続にかかわるような重大な影響を踏まえて、次回の選挙では、政府と選挙管理委員会の緊密な関係の構築と充分な事前準備が望まれることはいうまでもない。また、長期的な視野では政治家、警察、国防軍、国民一般の民主的意識の浸透が望まれる。しかし、自由で民主的な選挙の実現のために、より短期的な視野で対処しなくてはならない最大の課題としては、選挙実施期間ばかりでなく普段のPNG社会から暴力の行使を除去することであろう。そのためには徹底した銃の所持規制と密輸ルートの撲滅が今日PNG政府の取り組むべき最大の課題であると思われる。かって内戦と化したブーゲンヴィルでは、ニュージーランドやオーストラリアを中心にした国際的な協力体制のもとで、武装解除が一定の成果をあげている。そこで、同様に武器の回収が、とりわけハイランド諸州を中心にPNG全体で行われることが、今回の選挙で失われたPNGの民主性の回復の第一歩となると結論づけたい。

(注)
1) Pama Anio, "Somare Leads Eight-Party Alliance in Bid to Form PNG Government", Pacific Islands Report, July 22, 2002: originally from The National/PINA Nius Online, July 19, 2002.

2) Pacific Islands Report, June 24, 2002: originally from New Zealand Herald/Reuters, June 24, 2002.

3) Pacific Islands Report, June 20, 2002: originally from Post-Courier, June 20, 2002.

4) Daniel Korimbao, "Enga's Ballots More Than Total Population", The National Online, 30 July, 2002.

5) Will Marshall, "Papua New Guinea Election Plagued by Corruption, Violence and a Lack of Funds", Pacific Islands Report, July 8, 2002: originally from World Socialist Web Site, July 8, 2002.

6) Pacific Islands Report, July 26, 2002: originally from Canberra Times/AAP, July 25, 2002.

7) Jim Baynes, "250 PNG Ballet Boxes Lost", Pacific Islands Report, July 24, 2002: originally from Courier-Mail, July 23, 2002.

8) Pacific Islands Report, June 26, 2002: originally from Post-Courier, June 25, 2002.

9) Jim Baynes, "PNG Highlands Braced for Election War", Pacific Islands Report, June 20, 2002: originally from The Age/AAP, June 20, 2002.

10) BBC News Online, June 18, 2002.

11) supra., note 5).

12) supra., note 2).

13) Pacific Islands Report, July 5, 2002: originally from Radio New Zealand International, July 4, 2002.

14) Supra., Note 7).

15) The National Online, July 5, 2002.

16) Pacific Islands Report, July 15, 2002: originally from Radio Australia, July 12, 2002.

17) Ibid.: originally from Post-Courier/PINA Nius Online, July 12, 2002.

18) Mark Forbes, "PNG Politicians Smuggle Guns", Pacific Islands Report, June 22, 2002: originally from The Age, July 20, 2002.

19) supra., note 5).

20) Pacific Islands Report, June 17, 2002: originally from Radio New Zealand International, June 17, 2002.

21) M. Ruahma'a and A. Bariasi, "Bougainville Confident of Peaceful Voting", Pacific Islands Report, June 19, 2002: originally from The National, June 18, 2002.

22) M. Ruahma'a, "Voting Starts Slowly in Bougainville", Pacific Islands Report, June 20, 2002: originally from The National, June 19, 2002. なお、中央ブーゲンヴィルでは投票を妨げ  たその他の要因としてフランシス・オナ(Francis Ona)氏率いるメカムイ軍の路上封鎖が挙げられる。この事実関係については、(社)太平洋諸島地域研究所ホームページに掲載の拙稿記事、太平洋諸島情報−パプアニューギニア (http://www.jaipas.or.jp/homepage/hp_Joho_02.06-09.htm)を参照されたい。

23) Supra., Note 5).

24) Pacific Islands Report, June 18, 2002: originally from Post-Courier, June 17, 2002.

25) Pacific Islands Report, June 27, 2002: originally from Radio New Zealand International, June 26,2002.

26) Pacific Islands Report, July 5, 2002: originally from Radio Australia, July 5, 2002.

27) 選挙後の最近のPNG事情に関しては、本紙巻末に掲載の拙稿記事、太平洋諸島情報のパプアニューギニアの項目をあわせて参照されたい。