PACIFIC WAY

   フィジー「複数政党内閣事件」判決について

 −控訴裁判決(02/02/15)における組閣条項(99条)解釈−

苫小牧駒澤大学国際文化学部
 教授 東 裕


はじめに
 
 2002年4月24日、ラウトカ高等裁判所のゲイツ判事は、フィジー労働党(FLP)党首であるチョードリー前首相が、ガラセ首相、大統領及び法務総裁を相手取って起こしたいわゆる「複数政党内閣事件」(Multi-Party Cabinet Case)の判決を言い渡した。この事件は、昨年の総選挙後の組閣において、下院議席数の10%以上を獲得した政党に対し下院の全議席数に対する当該政党の議席数の割合に相当する閣僚ポストを首相が提供しなければならないとする、いわゆる「複数政党内閣」条項(フィジー憲法99条)があるのにかかわらず、ガラセ首相がFLPの入閣を認めなかったのは違憲であるとして、チョードリー首相がラウトカ高等裁判所に提訴したものである。ところが、この事件は憲法の解釈をめぐるものであることから、ラウトカ高等裁判所が最終的に判決を下す前に、フィジー控訴裁判所に憲法の関連条項の解釈を求めた。原告及び被告の主張をうけて、2002年2月15日に、同裁判所は99条の成立に至る憲法史の分析を背景にして同条の解釈を示す判決を下し、その解釈に則って今回の高等裁判所の判決に至ったものである。
 高裁判決は、政府に対し野党のFLPから8名の議員を入閣させるよう命じるとともに、FLPの訴訟費用2万フィジードルの支払いを命じた。この判決を承けてチョードリー党首はFLPからの入閣についてガラセ首相とすすんで協議する用意があるとの意思を表明した。一方政府は、5月2日のプレスリリースで、高裁判決は2月15日の控訴裁判決にもとづいて判断されたもので、しかもこの命令(order)は宣言(declaration)の形で法律論の観点から裁判所が目下の状態を判断したものであって、ただちに従う必要がある強制力を持った命令ではない、との見解を明らかにした。そして、判決文を引用しながらメディアの報道はこの判決の宣言的性格という重大な点を無視しているとして、マスコミの報道姿勢を批判した。また、判決をうけて入閣するか否かは最終的にチョードリーとFLPの判断によるとしながら、お互いに信頼感を欠き対立する政治的見解をもったもの同士がどのようにして政府を運営できるのか、としてFLPの入閣を牽制している。(Government Statement on the Multi-party Cabinet, J. Vosanibola, Miminister for National Reconciliation, Information and Media Relations, May 2nd 2002 )
 現時点(2002年6月15日)では今後この判決にそった形で内閣の改造が行われるのかどうかの予測は困難であるが、この複数政党内閣の問題は1997年憲法思想の再検討、すなわち国民統合にむけての憲法制度のあり方についての論議の火種となると思われる。そこで、控訴裁判決の要旨を紹介しながら、複数政党内閣制というフィジー独特の制度の由来と仕組み、そしてその目的についてみていきたい。
 
 
1.事件の概要と関連条項
 
 判決の構成は、「はじめに」(Introduction)につづき、「大臣の任命」(Appointment of other Ministers)、「原告の陳述」(Plaintiff's submissions)、「第一および第三被告の陳述」(First and Third Respondent's Submission)、「憲法の歴史」(The Constitutional History)、「99条の解釈」(The Interpretation of Section 99)の6つの部分で構成されている。「はじめに」の部分で事件の概要が示され、「大臣の任命」の部分での争点提示に続き原告および被告側の主張が掲げられ、それに対して控訴裁判所が1997年憲法の成立に至る歴史を考慮しながら、憲法99条の複数政党内閣規定の解釈を示す。

 1−1.事件の概要と裁判所の立場
 
 事件の概要とそれに対する裁判所の立場について、判決の中で次のように説明される。その中で強調されるのは、裁判所が行う判断は当然のことながら憲法規定についての法的判断であって、その判断は対象となる個人によって左右されるものではないという点である。ここに司法機関としての裁判所の立場が改めて確認される。
 
 憲法99条のもとで、大統領は首相の助言に基づいて閣僚を任免する。2001年9月に第一被告である首相はその任命後に原告であるチョードリー氏にフィジー労働党(FLP)の党首として同党からの入閣を要請する書簡を送った。チョードリー氏はその要請を受ける旨、回答した。しかしながら、首相は第二被告である大統領に閣僚の任命に関する助言を行い、そのなかでFLPからの閣僚の任命に否定的な助言を行い、実際FLPからは誰も閣僚に任命されなかった。2001年9月25日の高等裁判所での最初の召喚の際、原告は、裁判所に対し憲法の下でFLPは閣僚席を与えられる権利があると宣言し、その効果を与えることを求めた。本裁判所の前に、この事件に関しては2001年11月29日に高等裁判所で判決があり、高裁は一連の法律解釈の問題について本裁判所の判断を求めた。すなわち、これは本来本裁判所に対する訴えではなく、訴訟手続きは高等裁判所の管轄であり、最終判断は高等裁判所が行うものである。控訴裁判所の役割は、高裁に代わって法律解釈の問題に答えることである。しかし、そうするにあたって、われわれは最初にいくつかの一般的考慮に言及する。
 本裁判所の決定は、フィジー諸島共和国の最高法規である憲法の下で生じる法律問題に言及するものであり、かつそのことに限定される。憲法の解釈を求められる裁判所は、それらの問題を法律問題として処理する。裁判所は憲法を作らず、憲法を作るのは議会の役目である。われわれが関心を持つ諸条項は周知のように、リーブス委員会によってすべての争点を十分に考慮されたのち、国会の両院合同特別委員会(JPSC)で一層丹念に審議され、国会の両院の審議を経て大酋長会議によって承認され、1997年に成立した。憲法は現在の事件と人に適用されなければならないが、しかしそれらによって影響されてはならない。憲法の意味は一般的なもので、特に99条の意味が今日の政治家の意見や対象となる政治家次第で変わるものではない。99条によって課せられた義務と与えられた権利は、首相であろうが、99条5項によって入閣要請を受ける権利のある政党の党首であろうが、同じである。裁判所に提起される問題は、特定の個人間、特定の政党の党首間という特定された当事者間という文脈で起きるが、違った政党間であろうが個人間であろうが、彼らの役割が何であろうと憲法の解釈に何の違いもない。憲法は個人と無関係に語り、適用される。裁判所は憲法の条文を曲げたり修正したりする権限を持たない。
 
 1−2.憲法の関連条文
 
 首相はその他の国務大臣を任命し組閣を行うが、これについては99条が以下のように定めている。この規定の解釈が争点となっている。ちなみに、この条項は1997年憲法を特徴づける重要な規定の一つである。ここではこの条項以外にも憲法解釈の原則に関する諸規定や過去の最高裁判所意見が引かれ、99条だけでなく憲法中の関連条項全体からの検討も視野におかれている。
 
  1−2−1. 閣僚の任命
 内閣の組織について、次のように定められる。この条項がいわゆる「複数政党内閣(Multi-Party Cabinet)」条項である。
 第99条(1)大統領は、首相の助言により、その他の国務大臣を任免する。
 (2)国務大臣に任命されるためには、大臣は下院議員又は上院議員でなければならない。
 (3)首相は、本条に定める方式により、その任命する大臣を含む複数政党内閣を形成しなければならない。
 (4)本条に従って、内閣の構成は、できる限り下院に議席を有する諸政党を公平に代表すべきである。
 (5)内閣の組織にあたって、首相は下院の総議席の少なくとも10%の議席を有するすべての政党に入閣要請を行い、その下院に占める議席数の割合に応じて内閣に代表されなければならない。
 (6)首相が下院においてその全議席数の10%未満の議席の政党の議員を大臣に任命する場合、その選択は、本条の目的からして、首相自身の所属政党からの選択であると考えられる。
 (7)ある政党が首相の入閣要請を拒絶した場合、首相はその大臣ポストを入閣資格を有する他の政党(首相自身の所属政党を含む)にその議席数に応じて、本条5項の定めるところにより、できる限りその有資格政党に割り当てなければならない。
 (8)すべての政党(首相の属する政党及び連立を組んでいる政党を除く)が首相の入閣要請を拒絶した場合、首相は自らが所属する政党又は連立を組んでいる政党の議員を代りに入閣させることができる。
 (9)首相は、自ら所属する政党以外の議員を大臣に指名するとき、その議員の所属政党の党首に諮らなければない。
 
  1−2−2. 憲法解釈の諸原則
 憲法3条と6条は憲法の解釈に関連する一定の原則をおいている。
 @第3条(a)では、憲法条項の解釈に当たっては、裁判所はその条項の基礎にある目的や目標を推進する解釈を選択しなければならず、その際憲法の全体としての精神を考慮しなければならない、とする。
 A第6条は、憲法とその他の法律の枠組みの中で、「コンパクト」(compact)として政府の行為準則たるいくつかの原則を定めた。同条(h)項は政府の組織に当たって、すべてのコミュニティーの利益を十分に考慮すると規定し、(i)項は異なったコミュニティー間の利益が対立すると見える限りにおいて、すべての関係当事者は善意をもって合意に達するよう交渉すべきであるとし、そして(l)項はすべてのコミュニティー間での平等な権力の共有に言及している。
 
  1−2−3. 1999年の最高裁判所意見(The 1999 Supreme Court Opinion
 1999年に憲法123条に定める手続きによって、当時の大統領は憲法条項の効果について最高裁判所に多くの疑問を提示した。そのときに示された最高裁判所の意見が、いま本裁判所に提起されている事項のいくつかに関連している。最高裁判所が指摘したように、大統領の答申に応じて表明された裁判所の意見は、法律の真の解釈として必然的に権威を持つものであって、そして大統領、政府、裁判所(もちろん本裁判所を含む)、大酋長会議、及びフィジー国民を一般的に拘束している。その意見書において裁判所は次のように述べている。
  「・・・・憲法に埋め込まれた鍵概念は権力の共有(power sharing)である。この憲法に関連する疑問は、本質的にこの概念が上院と内閣との関係においていか  に作用するかに関係する・・・・」
  「1997年憲法の中心となる目的は、権力の共有(sharing of power)である。フィジー諸島共和国は、前文の中で多文化社会であると宣言され、・・・・政治権力はすべてのコミュニティーの中で平等に共有される(6条(a))。99条3項によって、内閣は複数政党でなければならず、権力の共有は権力の制限を意味する。」
「慣れ親しんだ伝統的なウエストミンスター型(Westminster pattern)のそれとは全く異なった政治権力の配分になる。伝統的なウエストミンスター型の民主主義(Westminster-style democracy)においては、下院の支持を得た首相は通常自ら好むように内閣を組織することができる。それはフィジー諸島が置かれた状態ではない。政治権力は多くの集団、個人、政党の間で分割され、それぞれの共有はいくつかの方法で制限されている。」
 
 以上、「憲法解釈の諸原則」と『1999年の最高裁判所意見』において、「権力の共有」が強調され、この概念が99条の解釈にあたって特に留意すべきことが重ねて示唆される。このことは、内閣の形成に際して下院の多数の支持を得た政党が単独で内閣を組織するウエストミンスター型民主主義とは異なることが指摘される。
 
2.原告側の主張
 
 原告側の議論は憲法99条、とりわけその3項と9項に集中しているが、同条の一連の項は複数政党政府体制を強制するものであると主張し、次のように論じる。すなわち、「首相には選択権がなく、入閣の要請は10%条項を満たすすべての政党に行われなければならない。さらに、5項は入閣要請に条件を付してはいない。そのため、内閣の中に反対意見を持った集団が存在することになるかもしれない。」
 この議論を支持するため、原告側は、第一に99条の条文そのもの、第二にその条文の背後にある憲法の歴史、第三に憲法の実際的適用を把握している憲法の父達の審議を記録したコロレヴ宣言(Korolevu Declaration)に依拠し、最後に、首相とFLPの党首との間の書簡のやりとりを援用する。
 首相の入閣要請とそれを促した書簡のやりとりの効果については、次のように議論を展開する。第一に、首相の書簡はそれ自身明らかに記述しているように99条5項に従ったもので、それへの原告の反応は明らかに入閣受諾を示すものであった。もし入閣要請が条件付きであったとしたら、それは99条5項に反し、有効な入閣要請ではなかったということになる。そして第三に、憲法の定める要件を被告が遵守しなかったということについては、「過ぎ去ったことをとやかく言うものではない」として、原告は強制命令を求める資格を有するが、原告の地位を確認し将来的に憲法が遵守されることを確認する宣言で満足すると述べる。こうして、原告は裁判所にその決定と回答によって明確な判断を示すことを促し、FLPの内閣への任命が、遅滞なく行われるべきだという判決を求めた。
 被告側の議論に応えて、原告側は次のように反論する。すなわち、「伝統的なウエストミンスター型の議院内閣制に依拠することは誤りで、99条は複数政党政府を推進するために導入された条項であり、99条は伝統的なモデルの下で機能すべきという観点からの解釈は拒否されるべきである」と。
 また、被告側の『リーブス報告』への言及に対しては、「フィジーの議会制の歴史が示すところは、きわめて明らかに『リーブス報告』の勧告から出発するものであることを示している。国会は全員一致で異論なく99条の3項から9項を複数政党政府を機能させるためのプロセスの一部として、諸政党の協力を強いるために好ましいメカニズムであるとして一括採択した」として、同報告で述べられた複数政党条項の趣旨が尊重されるべきであるとする。
 
 
3.被告側の主張
 
 被告側は次のように陳述する。すなわち、「この事件の核心にある問題は、複数政党内閣を形成する首相の義務ではなく、首相が形成する複数政党内閣の本質に関係する。99条5項による入閣要請は、入閣する諸政党間での共通の基盤を見いだす誠実な試みを強制する第一歩である。入閣要請の結果十分な合意が形成されれば、複数政党政府が形成されるだろう。しかし、もしそれに失敗すれば、首相が当該政党を閣内に入れる義務を課すものではない」。また、「第3項が、首相に複数政党内閣を形成する義務を課すが、4項の文言は内閣の構成はできる限り公正に下院における政党構成を代表しなければならないとしているのは、明らかにそのような内閣の形成が不可能かもしれないという可能性を前提としている」。
 被告側の議論は、「これはウエストミンスター型からの訣別ではなく、それに付け加えたものである」との主張を基礎にしている。つまり「ウエストミンスター型の文脈で読めば、99条は内閣を構成する諸政党間の合意に基礎を置かなければならない」ということになる。
 「政府が形成される枠組みは、憲法の第7章に定められ、その第3部は『内閣政治』(Cabinet Government)と銘打っている。もし第3部を全体として読むならば、内閣は政策について幾分かの一致に達した大臣で構成されなければならないことは明らかである。なぜなら、政治の現実は、下院の多数の支持を獲得した諸政党がすすんで協働するときに限り内閣政治となるからである。」
 「99条の下での合意に基づく内閣政治は、第3部の他の条項によって補強される。101条は連帯責任の必要を定め、それは同条によって要求される職務宣誓によって強調される。同様に107条と108条は政府が下院の信任を得ることを要求している。ウエストミンスター型の政府には基本的要件があり、その一つは、閣僚のあいだに下院に基礎を置く内閣の決定を支持できる十分な合意が存在するということである。一方、内閣の決定は、下院の多数によって受け入れられるものでなければならない。」
 被告側は、「コンパクトの中に込められた諸原則、とりわけ(g)、(h)、及び(l)号は、閣僚間での一般的一致を前提とするウエストミンスター型内閣を予定しているという99条の解釈を明らかに支持している」と主張する。
 その根拠は、「憲法草案(98条)では首相は入閣資格のあるすべての政党にその議席数に応じて入閣を保証することを義務づけていたが、最終的に99条5項では入閣資格を有する政党に誠実に入閣を要請すると変更された」と指摘する。すなわち、「99条5項は複数政党を形成するために99条3項の下での義務の履行に向けての手続きの一つにすぎず、入閣資格を持つすべての政党が内閣の中に代表される権利を絶対的に保障するものではなく、有資格政党間に実質的な合意が存在するときにのみ複数政党内閣が形成され、合意が形成されないとき首相は間違いなく当該政党の受け入れを拒絶することができる」と被告側は主張する。
 被告側は、「首相が入閣要請に条件を付すことを妨げる条項はない」と指摘するが、『1999年の最高裁判所意見』(The 1999 Supreme Court Opinion)は首相が条件付きの受諾を拒否する権利を明確に確立した。しかし、被告側は「その意見は、合理的に行動するための要件だけを確立したもので、99条に入閣要請が無条件でなければならないという文言がないので、その条項が制限的に解釈されるべきではなく、合理性の要件に服するべきである」と反論する。
 以上、要約すると次のようになる。被告側の弁護人は1997年憲法の議院内閣制はウエストミンスター型の一変形であるとし、この解釈は第7章に合致する。99条はそこで確立された全枠組みの中で機能するものであり、このことは『1999年の最高裁判所意見』の理由付けとも合致することになる。そして最後に、「原告のいう99条解釈は、フィジーが耐えきれないような憲法実験の時代につながる」と結論する。
 なお、2001年9月10日付の首相の書簡については、その中で内閣の指導政策が首相の所属政党のものであることを明確にしたのに対し、第二書簡に対する同日の原告の反応は、入閣要請を受け入れようとする一方、FLPの政策を内閣の中に導入する意図を示すものであった。被告側は、「これは首相の入閣要請と両立しない条件であり、そのため入閣要請拒否の回答であると扱う十分な理由があった」と主張する。

4.1997年憲法の成立に至る経緯
 
 1990年憲法は1987年のクーデタ後に議会制民主主義を回復するために公布された。それは、全体としてのフィジー国民の合意の産物ではなく、リーブス委員会が述べたように、フィジーの多民族的性格を適切に配慮した政府システムへの広く共有された願いに応えるものではなかった。1990年憲法の作成者はその暫定的性格を認め、7年以内(すなわち1997年7月25日以前)の見直しを規定していた。1993年の9月に両院一致で、適切な期間内に憲法を見直す調査委員会の設置を決議した。1995年3月15日に大統領によってリーブス委員会が設置され、同委員会に対し、「人種の調和と国民統合およびすべてのコミュニティーの経済的社会的向上を促進する憲法の見直し」と「憲法見直しの諸目的を達成するような憲法条項の作成の勧告」を要求した。これを受けて同委員会は1996年9月9日に大統領に報告書(『リーブス報告』)を提出した。
 同報告はその第2章において、『憲法的基礎の強化』として、「フィジー憲法の規定の第一の目標は、多民族政府の出現を促進するものであるべきだ」、「憲法はウエストミンスター型の議院内閣制に基礎を置き続けるべきだ」、そして「権力の共有は、諸政党の自発的な協力によって、または純粋な多民族政党への支持の増加によって達成されるべきだ」、とする。委員会は、「すべての民族コミュニティーは内閣の中において役割を果たす機会を持つべきだという考えに対する広範な支持があった」とし、そして「・・・・すべての民族コミュニティの間での行政権の共有に向けての進展はフィジーの憲法問題の唯一の解決策である。複数民族政府の出現を促す憲法条項を置くことが第一目標であるべきである」、とした。
 しかし、「内閣が下院における代表の割合に応じて、すべての政党で構成されるべきだという提案を拒否し、代わりに政府は下院の多数の支持を得なければならないというシステムを憲法は維持すべきだ」と勧告し、ウエストミンスター型の議院内閣制を維持した上での複数政党内閣の実現が期待され、99条で採用された方法はとられなかった。提案されている選挙制度の変更が複数民族政党の出現や政府を形成しうる連立の出現を促進すると期待してのことであった。
 この報告はランブカ首相によって1996年の9月10日に両院合同会議に上程された。両院合同会議はその報告をJPSCに付託した。JPSCは6つの最大政党からの23人の委員と首相及び野党代表で構成されていた。JPSCは、その報告を1997年の5月13日に提出した。それは複数政党政府について次のような勧告を含んでいた。
「リーブス委員会は、フィジー憲法の諸規定の第一目標は複数民族政府の出現を促すべきである、と勧告した。この原則に賛成してJPSCはそれをさらに進め、国会において代表されるすべての政党をできる限り公正に代表する複数政党内閣を首相は形成しなければならないという条項を憲法は含む、と定めた。憲法というものは、その中に代表の基礎を提供する仕組みをもつべきだ」(G.1)。
「複数政党政府への入閣を要請された政党が入閣を拒否したとき、首相はその所属政党から内閣を組織する柔軟性をもつべきである」(G.4)。
 
 以上のように、1997年憲法の制定過程の様々な局面における議論を紹介し、その中でフィジー社会の多民族状況に配慮した諸民族の「権力の共有」による「複数民族政府」、すなわち「複数政党内閣」の形成がこの憲法の第一目標であったことが示される。

5.憲法99条の解釈について
 
 5−1.入閣要請は首相の義務か権能か
 
 憲法99条、特にその3項と9項はこの事件の核心を占める。3項は基本的な義務を課す。すなわち、「首相は複数政党内閣を組織しなければならない・・・・・」。3項は首相に内閣を構成する閣僚の数を決める権能を付与している。4項は、内閣の構成についてさらなる要件を規定している。内閣の構成は、可能な限り、下院における政党を公正に代表すべきであり、またこの条文の条件に従うべきである。
 内閣の構成は必ずしも正確に下院における代表の割合を反映する必要がないことは次の理由による。第一に、5項は下院の10%未満の政党からの強制的入閣を排除している。第二に、6項は首相が下院の10%未満の政党から閣僚を任命する数に応じて、首相の所属政党からの入閣の割合を減らすことを定めている。そして、第三に、7項と8項は首相からの入閣要請を拒否した政党があった場合、閣僚席の再配分を定めている。
 閣僚ポストの正確な数学的比例が不可能であるが、「できる限り、公正にすべき(should, as far as, fairly )」という文言は、首相に99条の要件から離れる裁量の余地を与えるものではない。ここで、3項の文言と8項の文言を比較対照させることに言及することは好都合である。後者は、首相の所属政党と他の一政党が「連立」を組むことを熟考すると明示しているが、一方前者は首相が「複数政党内閣」を構成することを要求している。
 5項は、首相に複数政党内閣の要件を支持し、かつ3項と4項にあるように比例的に内閣を構成する義務を首相に課している。首相は、下院において少なくとも10.1%を占めるいかなる政党からもその下院における議席数の割合に応じて入閣を要請しなければならない。
 その義務は、直接かつ簡明に述べられている。5項の文言は、それだけを取り出してみても、または99条全体のコンテキストからみても、首相が入閣を要請するにあたっていかなる条件をも付する基礎を提供するものでもない。正確な文言を繰り返し引用すると、首相は「代表されるべき・・・・(資格を有する)政党に入閣要請を行わなければならない」。99条5項は、権能を付与してはおらず、しそれは単に義務を課しているだけである。
 要するに、99条5項の文言とそして99条の他の規定は明白である。それらは資格を有する政党に対し入閣要請を行うことを首相に要求している。それ以上でもそれ以下でもない。しかしながら法廷での議論は、99条を越えて第7章の他の条項や憲法全体に及び、さらにウエストミンスター型の内閣政治についての広範な規定と、すでに見たように憲法の歴史にまで及んだ。
 このように控訴裁判所は、入閣要請は首相の権能ではなく義務であるとの99条解釈を示すとともに、原告側・被告側双方の拡散的な議論展開に批判的であることを示唆する。
 
 5−2.議院内閣制の諸規定との関連で
 
 第7章の第3部は内閣政治に関する規定を置いている。97条、98条、及び102条は、政府は下院の信任を得なければならないと定め、内閣は国家の統治に関し下院に連帯責任を負い、閣僚はその職務の遂行にあたって、閣僚としての権威のもとになされたすべての行為について下院に対し個々に責任を負う。大臣の職務の遂行に関する宣誓は、内閣の責任と信任の連帯性を強調する。首相は下院議員でなければならず、閣僚は下院議員又は上院議員でなければならない(98条、99条2項)。新しい政府の構成に関する諸条項、国会の解散、及び首相の任免は、政府又は首相が下院の信任を得ているか否かに依拠する(97条、98条、107−109条)。
 ところで、これらの諸規定の中に定められた議院内閣制のシステムは、コンパクト条項の中に認められ、そこで政府の行為が依拠しなければならない一定の原則が、述べられている。
 第6条(コンパクト)
 (g)下院の多数の支持を得た政府の形成は、諸政党・選挙民の支持に依存し、かつ、連立政府の形成が必要とされるとき又は望まれるときは、政府の形成のため又は政府支持のために連合する諸政党の意思に依存する。
 (h)政府形成、立法の推進又は行政政策の実施を通して政府が国家行為を行うとき、すべてのコミュニティーの利益について十分な考慮を払うこと。 
 (i)異なったコミュニティー間の利益が対立するとき、すべての関係政党は、合意形成に向けて努力し、誠実に交渉を行うこと。
 (l)フィジーのすべてのコミュニティー間における政治権力の公正な共有は、すべてのコミュニティーが国家の経済的発展からの利益を十分に享受するため、公正な経済的・商業的権力の共有と適合される。
 こうしてウエストミンスター型議院内閣制のとりながら、その制度の枠組みの中での政府の行為については「コンパクト(協約)」条項を導入し、諸政党間の合意や権力の共有を求める特殊フィジー的なシステムとなっている。
 
 5−3.首相とその他の閣僚の任命
 
 第3部は、首相とその他の閣僚の任命について規定する。第一段階は、大統領がその独自の判断権の行使によってとられる。大統領は、自らの判断により、下院の信任を得られ、政府を形成できる下院議員を首相に任命する。もし首相の所属政党が下院において多数を形成していないときは、首相は下院の信任を得られる政府を形成できることを大統領に伝え、その了解を得る。それから首相は内閣組織の過程にはいる。99条1項・2項に従い、首相の助言に基づき大統領は閣僚を任命する。大統領は裁量権を持たない。首相が欠けたとき閣僚もまたその職を失う(5条1項(a)・(b))。閣僚はいずれかの院のメンバーでなければならないこと、そして閣僚ポストの比例配分条項を別にすれば、内閣を構成する際に首相に課せられた唯一の拘束は、閣僚を他の政党から選ぶとき、首相はその閣僚候補の所属政党の党首に相談しなければならないと言うことである(99条9項)。
 複数政党内閣条項を別にすれば、憲法の諸条項はオーソドックスなウエストミンスター型の議院内閣制政府をまさしく規定したように見える。要するに、行政部は国会から生まれ、下院の信任あるいは支持を得なければならず、下院に連帯して責任を負い、閣僚は信任に関する義務に服し、下院の信任を失うとその職を失う、ということである。つまり、首相とその他の閣僚の任命については、伝統的な議院内閣制の枠組みを維持している。
 
 5−4.入閣条件を付すことができるか
 
 これらの諸規定から生起する疑問は、それらの諸規定が99条によって課せられた義務を緩和し、そして首相が入閣要請の際に条件を付すことを可能にするかどうかということである。本裁判所は、条件を付すことはできない、と考える。首相に課せられた義務は明白で簡潔である。曖昧さがない。いかなる解釈の必要もない。複数政党内閣の運営の際に発生するどんな実際上の困難も、その文言の明確な意味に影響を与えることはできない。
 『1999年の最高裁判所意見』は、憲法の第一目的が「権力の共有」を促進することにあることを明らかにした。首相が入閣資格のある政党に対し、首相の政策を支持することに同意することを入閣の条件とするのは、最高裁判所意見に反する。それ故、本裁判所は、99条5項は、首相がこの条項に従い無条件で、下院の10%以上の議席を占める政党の議員を内閣に招請する義務を課していると考える。このことは、入閣要請は、政治のラインを横切って行われなければならないということを意味する。条文、文脈、歴史、及び『1999年の最高裁判所意見』は、いうまでもなくこの結論に結びつく。
 つまり、入閣要請が首相の義務である以上それに条件を付すことはできず、この結論は99条の解釈だけで十分に導き出されるものである。仮に、原告側・被告側の挙げるようなその他の考慮を含めてもこの結論に至るのは必然である、とする。
 
6.個別の疑問とそれへの回答
 
 ここではいくつかの個別具体的な疑問が提示され、それへの回答が示される。そのうちの重要なものについて紹介する。
 
(1)2001年9月10日付の首相の入閣要請書簡は、憲法99条5項の義務と一致するものであったか?
 2001年の8月から9月にかけて実施された総選挙の結果は次の通りで、どの政党も過半数の議席を獲得することができなかった。
   SDL   32(45.1%)
   FLP   27(38.0%)
   CAMV   6 (8.5%)
   NLUP   2 (2.8%)
   NFP    1 (1.4%)
   UGP    1 (1.4%)
   無所属   2 (2.8%)
 しかし、2001年9月6日に、第一被告(ガラセ)はSDLの党首として、連立を形成し他のメンバーの支持を獲得するとの書簡を大統領に送り、結果的に彼は下院の過半数の支持を得た。そこで2001年9月10日に大統領は彼を首相に任命した。
 首相の原告宛の書簡は、憲法99条5項の要件−首相は、下院で全議席の少なくとも10%を獲得したすべての政党を内閣の中に代表されるよう入閣を要請すべきである−への言及に始まり原告への招待で終わっている。その中で、首相は連立を形成し下院において多数を形成するのに必要な数を獲得したとして、「私の内閣」の政策は基本的に複数政党連立の中での最大政党としてSDLの政策に基づくものであるとする。そして、多くの重要政策について首相の政策と原告の政策は180度反対であると指摘しながら、ガラセ首相は自分の内閣において原告の政党と機能的なパートナーシップを保つための十分な基礎がないと考える、という。首相の政党は最大政党であり、その政党が内閣の中で少数派になることを許すべきという考えは「単純に理解できない」ことであり、現在の状況において、99条5項の要件は「非現実的でかつ機能しない(unrealistic and unworkable)」と。
 この種の文書の解釈は法律問題である。その書簡は99条5項の要求する入閣要請を意図したものであったことは疑いない。両者の最初の立場にみられるように、実際、異なった理由によるものだが、それは規定に照らし有効な入閣要請であった。そして本裁判所が採用した99条の解釈に従えば、こうして憲法に違反し無効となる。実際原告が入閣要請に応えた後の9月12日付の書簡で、チョードリー氏は内閣の政策が基本的にSDLの政策に基づくものであるという「基本的条件」を明確には受け入れなかったと述べている。しかしながら、9月10日の書簡は客観的に解釈されなければならず、争点は、書簡を受け取った方はそれを合理的にどう解釈するだろうということである。我々の意見では、客観的な解釈は、その書簡は99条5項によって要求される入閣要請を含んでいたということである。さらに、それは筆者が内閣の事項についてどのような意図を持っているかを原告に助言(あるいは警告)している。その書簡は原告または彼の政党に対し同意を求めてはいない。
 被告の議論のいくつかによれば、憲法の下での内閣政治の概念は、『1999年の最高裁判所意見』の中にある「権力の共有」と「権力の制限」の見解と一致しないことを示唆している。99条は伝統的なウエストミンスター型とは大いに異なった内閣政治の様式を規定している。
 被告の議論では、99条はどの政党も内閣に入る絶対的な権利を持っていることを予期していないという。複数政党内閣は、関係諸政党がこれを実行可能なものにする合意に達することができる場合にかぎり形成される、という。
 99条5項の下での入閣要請の受け手が内閣の中に代表されなければならないとこの条項は規定していない、という点についてのみ本裁判所は同意する。入閣を要請された方は、野党にとどまることを望むかもしれない、そして野党代表の地位につくことの特権を選択することを望むかもしれない。しかしながら、99条5項が与えるものは、本条の点からは入閣を要請される権利である。
 われわれは問い(1)についてはイエスである。なぜなら入閣要請は無条件だからである。
 
(2)(@)彼がチョードリー氏の9月10日付の第2の書簡(入閣要請受諾の書簡)を受け取った後で、首相は憲法99条によって、またはその他によって、FLPが下院における議席数に応じて代表されるような内閣の形成に結びつくような助言を大統領に行う必要があったのか?
  (A)それとも、チョードリー氏が首相の入閣要請を断ったかのように首相によって取り扱われたチョードリー氏の第2書簡は条件付きであったのか?
 9月10日付の首相の書簡は告知または警告を伴った99条5項によって要求される条件付きの入閣要請であった以上、原告の反応を条件付きの受諾であると解釈することに困難はない。FLPの入閣は憲法に一致するものであるとするチョードリー氏の言明は、その入閣が必然的に憲法に一致するものでなければならない以上、何ものをも付け加えるものではない。コロレヴ宣言は政治協約であり、第一被告もその所属政党も署名していない。その文書は首相の地位の受諾であると述べていた。
 大臣の要請は、しかし首相の書簡のように、付加的な情報を与えることになった。しかしながら、首相の書簡と同様に、これはその書簡を条件付きのものにするものではなかった。原告の返事は、首相が何かについて同意することを求めてはいなかった。
 このような理由により、(@)に対する答えはイエスであり、(A)に対する答えはノーである。
  (B)首相はその問題について裁量権を持っていたか?
 有効な入閣要請に対し有効な受諾があった以上、次のステップは99条3項、4項、6項、および9項に従ってとられなければならない。3項によれば、首相は、閣僚の総数についての裁量権を持っているが、しかし内閣の構成は第5項によって規定され、そしてFLPの代表(閣僚数)は下院の議席数に比例しなければならない。この点について首相は裁量権を持っていない。
 
(3)受諾の書簡を受け取った後で、首相は99条9項その他によって、入閣させるFLP議員の選択についてチョードリー氏に相談する必要があったか?
 その答えはイエスである。
 
(4)首相は次のことによって、何らかの憲法上の義務または法律上の義務に違反したか?
   (a)FLP議員を一人も含まない内閣を任命することを大統領に助言したこと。
   (b)FLP議員の入閣についてその議員の選択をチョードリー氏と相談しなかったことによって。
 先に述べた我々の結論と理由によりその両方に対する答えはイエスということになる。すなわち、首相は憲法上の義務に違反した。
 
(5)首相は現在、次の点で、憲法または他の法律によって課せられた何らかの義務に違反しているか?
   (a)大統領に対しFLP議員を大臣に任命するよう助言しなかったことで。
   (b)FLP議員の入閣についてその選択をチョードリー氏と相談しなかったことで。
 再び、先に述べた我々の結論と理由によりいずれの答えもイエスということになる。首相は、憲法によって課せられた義務に違反している。
われわれは、この回答及び理由を高等裁判所に戻すよう指示する。費用については高等裁判所で取り扱うべきことに弁護士は同意している。
 
7.むすびに代えて−ガラセ内閣の今後
 
 6月8日と9日の両日に開催された第5回タラノア(TALANOAX)会合を前にした6月5日、ガラセ首相とチョードリー労働党党首との間で初の公式会談が開かれ、約30分間にわたって、土地問題、憲法問題、及び複数政党内閣問題について、意見交換が行われた。会談は「実り多いもの」(ガラセ首相)で、チョードリー党首もフィジー政治の将来についての話し合いに「興奮した」とその感想を語った。そしてタラノア会合に臨み、8日と9日の両日にわたり再び両者の話し合いがもたれたが、複数政党内閣の形成については合意に達しなかった。チョードリー党首がFLPの議席数からみて入閣資格があるとしたのに対し、ガラセ首相はそのような閣僚構成では内閣が機能しないとして、FLPの入閣に同意しなかった。結局、この問題については最高裁判所の判決を待って、あらためて内閣の構成について話し合うことで両者は合意した。
 最高裁判所がどのような判断を示すかが待たれるところであるが、ここに紹介した控訴裁判所判決が詳細かつ緻密な純司法的検討を行っているところからみて、最高裁判所の判断が控訴裁判所のそれと大きく異なることはないものと思われる。すなわち、最高裁の判断においてもFLPの入閣による複数政党内閣の形成が憲法の要求するところであるとの見解が示される可能性が大きいと考えられる。ランブカ前首相もチョードリー労働党党首の入閣は民族の和解にとって望ましいことであるとの見解を述べているが(6月12日)、なんらかの政治変動は避けられないものと見ておいた方がよいだろう。少なくとも、今回問題となった複数政党内閣条項をはじめとするいくつかの憲法条項の改正が大きな政治課題となるものと思われる。今後の情勢の変化に注目したい。
 
 
参考文献
 
 ・IN THE COURT APPEAL, FIJI ISLANDS, MISCELLANEO No: 1/2001 (CIVIL ACTION      NO. 282 OF 2001 L), http://www.asiapac.org.fj/cafepacific/resouces/aspac/chaudhryqarase.html.   ・Government Statement on the Multi-party Cabinet, J. Vosanibola, Miminister for National      Reconciliation, Information and Media Relations, May 2nd 2002,               http://fiji.gov.fj/speeches_features/s2002_05_02-01.shtml.
 ・Robert Keith-Reid, FIJI PM QARASE ORDERED TO OPEN UP CABINET TO OPPOSITION ,PIR,   April 25, 2002., http://pidp. eastwestcenter.org/pireport/2002/April/04-25-10.html.
 ・FIJI PM QARASE IN TALKS TO CONSIDER LETTING INDIANS SHARE POWER, PIR, June 07   2002., http://pidp. eastwestcenter.org/pireport/2002/June/06-07-08.html.
 ・NO FIJI AGREEMENT ON MULTI-PARTY CABINET, PIR, June 10 2002., http://pidp.       eastwestcenter.org/pireport/2002/June/06-10-01.html.
 ・Ashwini Prabha, FIJI'S RABUKA DISMISSES COUP FEARS CHAUDHRY IN CABINET, PIR, June   13 2002., http://pidp. eastwestcenter.org/pireport/2002/June/06-13-01.html.
 
 なお、複数政党内閣制については、拙稿「フィジーの国民統合と『複数政党内閣』制」(憲法学会『憲法研究』第32号、2000年5月31日)に詳しい。また、判決で言及された「コンパクト」条項については、同「フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利」(『苫小牧駒澤大学紀要』第2号、1999年10月31日)参照。