PACIFIC WAY


巻頭言・残せるのか、島々の伝統文化


   小林 泉 (こばやし いずみ)


 当研究所では、昨年の大阪に引き続いてこの3月、金沢と東京で公開の国際シンポジウムを開催した。これは、2000年の宮崎・島サミットの成果をフォローする事業の一環で、次の島サミットで実りある議論の場を創り上げる環境づくりを目指して、外務省との共催で実施したプログラムである。

 テーマは、金沢で「グローバリズムとミクロネシアの伝統文化」、東京で「ミクロネシア・国家建設の第二ステージ」をとりあげた。対象島嶼諸国は、信託統治領から独立を果たしたミクロネシアの三国に焦点を絞ったが、パラオからは副大統領、ミクロネシア連邦からは外務大臣、マーシャル諸島からは外務次官が参加したほか、テーマに伝統を掲げたために、各国から最高位の伝統的指導者らも加わって賑やかな会合になった。日本側からは、島文化に造詣の深い研究者や石川県在住の学者が集まり、これに300名を越す一般聴衆が熱心に議論に聞き入った。

 日ミの文化人が伝統文化について議論する、その場所に金沢を選んだのは、ここが日本の古い伝統を今に伝える文化都市であり、シンポジウムの開催には格好の地だと考えたからである。そして、その狙いは的はずれではなかった。何度も東京を訪れたことのあるピエラントッチ副大統領(パラオ)は、「近代性、合理性を極めた日本という一面的なイメージが変わった」と言い、イエシ外相(FSM)は「日本の近代化を支える基底部に、伝統文化が強く根付いていることを再認識した」と述べた。独立後の島嶼指導者たちにとって、「島々の伝統」は大きな関心事だと言っていい。彼らは、押し寄せるグローバル化の波の中で、如何に島々の伝統を守りながら近代国家に変身して行くかに腐心してきたからである。

 とはいえ、石川県に伝えられてきた数々の洗練された工芸や芸術といった文化が意味する伝統と、ミ諸国が問題にしている伝統とは、いささか次元が異なっている。島々での伝統とは、主として土地の所有制度であったり、親族関係であったり、儀礼行為であったりと、その社会構造そのものを形成させてきた基盤となる伝統的な無形の文化をイメージしているからだ。それゆえ、そうした段階を通り越して、技術や芸術文化という形になって進化してきている日本の場合と、同じ伝統というキーワードをもって同一に比較することはできない。それでも、日ミ間で繰り広げられた議論は、意外なほど違和感なく噛み合うことになった。それは、国家の経済的自立を果たすためにグローバル化に与(くみ)する必要性を感じながらも、民族文化を保持し伝統性を守り抜きたいとする熱き思いが、島の指導者たちの誰からも感じられたからであろう。これが、日常的に自文化を民族のアイデンティティーとして意識することの少ない日本側の聴衆や討論者に新鮮な驚きを与えたのである。

 島々には、地球温暖化による水位上昇で国土が水没してしまうという恐怖があるが、これと同等の恐怖心をもって、グローバル化や経済開発によって自らの精神性の拠り所となる文化基盤の消滅を心配している人たちがいる。私たちは、それを目の当たりにしたのだった。これは、普段それほど真剣に自文化に思いを馳せることのない普通の日本人にとって、たいそうな刺激となった。

 こうした島々からの発言を受けて日本人討論者は、日本の有形文化や芸術文化の無形的な意味に力点を置いて説明した。ミクロネシアの指導者たちは、これにいたって満足したようである。「日本も社会発展の過程で、同様に伝統文化の問題を抱えていたんだ」、「習慣や構造を、独自の技術や芸術へと発展させることができるのだ」と、彼らは日本の場合を自民族文化に結びつけながら共感できたからだろう。

 こうして、文化を題材にしたシンポジウムによって、日本とミクロネシアの相互理解が進行していった。金沢に参加したミクロネシアの指導者たちは、そのまま東京に移動し、ここでも100名ほどの聴衆を前に、国家建設のための経済政策や文化政策を説明して人々の関心を喚起した。

 しかし、ミクロネシアの小さな国々が、グローバル化の中で脆弱な伝統文化を保持していくのは、実際にはそれほど容易ではない。それが有形でなく無形なものであってみれば、なおさらだ。先進国は、近代国家への変身は伝統社会の構造変化によって成り立つと考えがちだから、安易に外国からの協力を仰げば伝統は消え失せてしまう。そこでシンポジウムの最後に、グアム大学のバーレンドルフ教授が言った。「島々には小さくても大切な文化がある。これを経済協力という名の下で、一気に消滅させないよう十分に気を配って欲しい。これが日本や米国ができる最優先の文化協力です」と。そうだろう。文化に関する相互理解や協力には、まず、自文化中心主義(エスノセントリズム)を排除するところからはじめなければならない、と私は思った。                        
  (小林 泉)