PACIFIC WAY

巻頭言・地球環境と島嶼国

小林泉(こばやし いずみ)


 国家の開発や経済自立と共に、このところ地球環境に関する問題がますます太平洋諸国の関心事になってきた。とりわけ環礁を主たる国土とする極小島嶼国にとっては、関心を通り越して恐怖心にすらなりつつある。環境問題とは、地球温暖化や気候変動による島々の住環境の変化を指している。

 「地球が温暖化しているので、極点の氷が溶けて海水面が上昇すれば海抜の低い環礁島は水没する」と言われれば、そこに住んでいる人々が怖がるのは当然だろう。とはいえ、キリバスやマーシャルの環礁島で「地球温暖化が原因となって海水面が恒常的に上昇した」という科学的根拠に基づくデータは今のところ上がってきていない。というより、これまで長期間にわたる定点観測が行われていなかったために、科学的データが無いと言った方が正確だろう。陸地が小さくなっている島もあるようだが、それが自然の浸食か地質的沈下か、あるいは風雨による一時的な海面上昇なのか、要するに原因は特定しにくいのである。だから、それほど神経質にならなくても良いではないか、との意見もあろう。

 しかし、島々に暮らす人々の日々の生活実感からすれば、将来を案じるような現象の変化は確実に存在している。例えば、ほとんどの島嶼でそうなように、雨期と乾期の区別が曖昧になったこと。小型のサイクロンや台風の数が増えたこと。サイクロンで海が荒れ、それまでには水没しなかった場所が頻繁に水を被るようになっていること。それにより、タロなどの芋類の塩分濃度が上昇していること。海水温が上がり、今までの深さで獲れたタコや魚がより深い場所に移動してしまったこと・・・・・等々。こうした異常の原因は、エルニーニョ現象として説明される場合が多いが、これだけエルニーニョも頻繁になれば、人々の心情が地球の温暖化現象と結び付いたとしても、むしろ当然だろう。
 
そもそも温暖化の最大原因は二酸化炭素の排出だとされているが、島嶼諸国はその原因作りに全く荷担していないのだから、自らは何もできずに歯がゆいことだろう。彼らができるのは、二酸化炭素排出国にその抑制を訴え、先進国に科学的な調査と研究に基づく方策を見つけだすべく要求することだけだ。環境変化が起これば、真っ先に被害を受けるのは島嶼諸国だからである。島嶼諸国のリーダーたちが、極めて熱心かつ真剣に温暖化防止の方策を進めるよう先進諸国に訴えかける理由はそこにある。

 こうした島々の思いも虚しくアメリカのブッシュ政権は、温暖化対策について定めた京都議定書の批准を拒否した。二酸化炭素の最大排出国アメリカがこの議定書を無視すれば、途上国の無茶な開発による二酸化炭素排出に先進国が結束して歯止めをかけようとする思惑が、いっぺんに破綻しかねない。こうなると、国際社会レベルでの二酸化炭素抑制策が、一気に遠のくかもしれない。

 二酸化炭素がらみの環境問題は、裏返せばエネルギー問題だと言っていい。アメリカでは、総発電量のうち50%以上を最も二酸化炭素排出量の多い石炭を燃料に生産している。だから、これを抑制するにはエネルギー生産の主力を原子力にシフトするか、それとも新しい燃料か動力を見つけださなければならない。どうすべきなのか頭の痛いことだが、これからの人類にとっては、いずれにせよ避けて通れない問題なのである。

 とはいえ、島嶼諸国にはもっと早急、かつ身近で重要な環境問題がある。それは廃棄物、ゴミ処理の問題だ。真っ白い砂が続く綺麗な海岸がビールやコーラの空き缶だらけといった光景を、島を訪れたことのある方なら誰もが思い出すだろう。ヤシの実やバナナの皮のポイ捨ては、自然にかえるから問題ないが、輸入品から生じたゴミの多くはいつまでも残ってしまうのである。

 ゴミ・廃棄物の処理施設が整っている島はほとんどない。放置場所に生ゴミも化学合成物も金属類も、一色端にして捨てるところが多いが、小さい島だと捨て場所を何処に選んでも海の近くになる。だから、汚染物質が海に染み出る可能性が高いのである。実際に、ゴミ捨て場の近くの海は、見た目の美しさとは違い、水質汚染度が高いという試験結果があちこちの島嶼国で記録されている。都市化して人口が密集した地域での下水処理不備により、海の汚れが著しい場所も少なくない。こうした汚染が人々の住環境に与える影響は、温暖化によって生じる危機の可能性と同様に、あるいはそれ以上に差し迫った問題として重要視しなければならないだろう。

  21世紀の島嶼諸国には、「開発」や「生産」の手段に偏するのではなく、「事後処理」や「自然の維持」を念頭においた協力や援助が必要になるのではないか、と私は思う。