PACIFIC WAY
分析レポート

国営航空会社設立で揺れるニウエ  


 
ニウエの悩み

 中部太平洋のツバルやキリバスが、海面上昇による「国土消滅」という国家存亡の危機感を募らせている一方で、ニウエもまた違った形での国家存亡に危機に直面している。それは「国土消滅」ではなく、「国民消滅」というものである。
 トンガの東に位置するニウエは、隆起珊瑚礁でできた260平方キロほどの単島である。国が小さく、またニュージーランドとの自由連合という国家形態をとっているため、正式な外交関係を取り結んでいる国はなく、日本も国家承認を行っていないが、太平洋地域では独立した政府を持っているとして独立国と同等に扱われており、太平洋諸島フォーラム(南太平洋フォーラム)の正式加盟国にもなっている。
 1970年代以来、この国の最大の悩みは人口の流出であった。1960年代には5000人を超えていた人口は、1974年に自由連合国に移行した前後から、自由に行き来のできるニュージーランドへの人口流出が顕著になり、今ではニウエに住む人口のおよそ10倍のニウエ人がニュージーランドに住んでいる。
 公務員以外これといった雇用のないニウエから、人々はよりよい生活を求めて、次々とニュージーランドに移住していった。人口の減少に伴って、これまで国家経済を支えてきたニュージーランドからの財政援助も削減されることになり、政府は財政支出を抑えるために90年代前半に公務員のリストラを行い、その結果さらに人口流出に拍車が掛かってしまった。こうして1998年には人口はついに2000人を割り込み、現在は1800人あまりにまで減少してしまったのである。
 もちろんこうした事態に政府は手をこまねいていたわけではない。しかし産業振興を図ろうにも、遠隔性や狭隘性など、アジア地域などに比べて生産コストが高くつくという島嶼国特有の事情を抱える中で、経済基盤となるべきめぼしい産業を育成することはできなかった。
 
観光振興:ニウエ活性化の切り札

 こうした中で1990年代にニウエ活性化の切り札として取り組まれたのが観光振興であった。ニュージーランドの援助によって、めぼしい景勝地には案内板がつくられ、1995年には大型航空機が離発着できるように滑走路が拡張され、そして1996年には国営リゾートホテルが完成、営業を開始した。
 しかしニウエを訪れる観光客はいっこうに増えなかった。南の島を好む観光客が楽しめるようなビーチがないこと、裾礁が狭く遊泳にもあまり適さないことなど、観光客を誘致する上で本質的に不利な面も少なからずあるが、何より問題とされたのは、航空アクセスが極めて不便なことである。90年代前半にサモア−ニウエ−クック諸島をつないでいたポリネシア航空は業績不振で撤退してしまった。一時期路線を開設したナウル航空も、最も関係の深い国のナショナルフラッグキャリアであるニュージーランド航空もニウエ路線を見捨てた。こうして今やロイヤルトンガン航空が細々とトンガとの間を結んでいるだけである(ちなみに99年12月では週1回、オークランドからトンガに戻る便がニウエに立ち寄っているだけである)。
 こうした状況を打開すべく、1999年3月に新たに首相に就任したラカタニ首相は、国営航空設立の構想をぶち上げた。ニウエが独自に国営航空会社を持てば、ニウエを中心に据えた独自の航空路線を安定的に展開でき、それによって特にニュージーランドからの観光客を誘致できる。すでに滑走路の拡張も終わり、モダンなホテルも完成している。ラカタニ首相は、首相就任直後から、国営航空設立に向けて精力的に活動を開始した。
 
採算性への疑問と進まない作業

 ニュージーランドでパートナーを見つけたラカタニ首相は、さっそく「コーラルエアニウエ」社を立ち上げ、8月には運航を開始するとの見通しを示した。しかし航空協定締結や乗り入れ国でのエージェントの手配などの具体的な作業は進まず、運行開始はずるずるとずれ込んでいった。
 こうした中で現実問題としてこのような航空会社を設立して採算がとれるのかという疑問も広がってきた。ニウエへの年間訪問者はわずか1736人、そのうち観光客は974人(1998年)。マーケティングはどうなっているのか。赤字になった場合の政府の負担はどうなるのか。これといった産業のない中で、ニウエは過去均衡財政を暗黙の了解とし、無借金財政を行ってきた。ニウエの国家財政規模は2000万NZドル程度で、うち3分の1はニュージーランドの援助である。国営航空の企業活動が採算に乗るまで持ちこたえられるだけの財源はあるのか。そもそもいつ頃から黒字転換する見通しなのか。
 こうした疑問にラカタニ首相は明確な回答を示すことなく、一部関係者だけで事業準備を進めていった。
 10月下旬、これまで与党グループ内にあって補佐大臣を務めていたトケ・タラキ議員が国営航空の設立に反対して補佐大臣を辞任した。トケ・タラギ議員は、収支見通しやマーケティング戦略などの事業計画が一切示されない中で、この事業は「国を破産に導く危険な計画である」とし、これまで政府を支持していた無所属議員4名で内閣不信任案を提出した。ニウエの勢力分布は与党NPP9、与党派無所属5、前政権派(野党側を形成)無所属6となっていた。与党派だった無所属議員がラカタニ首相に反旗を翻したことで、安定多数を誇っていたラカタニ政権はにわかに政権崩壊の危機に陥った。ラカタニ首相は即座に議会を招集して不信任案の審議を行うべしとする反対派の主張を退け、12月の通常国会まで審議を先延ばしすると同時に、11月中にも一番機を飛ばして既成事実を作ろうと作業を急いだが、路線コードの獲得までは進んだものの結局飛ばすことはできなかった。
 
混迷を深めるニウエ

 12月17日に国会で採決が行われた不信任案は、10対10の同数となって否決され、ひとまず政権は持ちこたえた。
 ニウエの国会規則では不信任案裁決後12ヶ月間は不信任案は出せないことになっている。チャップマン首相秘書官もこれで当分の間はラカタニ首相体制は安泰だろうとの見通しを示していた。そして12月末にはコーラルエア社がフィジーと航空協定を結び、1月にもナンディ−ニウエ便を就航させるとの報道も出された(結局飛ばず)。
 ところが危機感を募らせていた国営航空反対派は、年末年始を挟んでさらに1名の支持を獲得、過半数を確保して1月14日に開かれた議会で再度内閣不信任動議を提出した。国会議長(ニウエの場合は非議員)が国会規則をもとにこれを不受理とすると、これを不服とする11名の議員は審議を拒否して退席、この問題を司法判断に委ねるとして高裁に提訴した。国営航空反対派は、憲法では内閣不信任案の提出は自由とされており、国会規則はこれに抵触すると主張している。
 これと並行して、航空会社そのものの先行きも怪しくなってきた。いつまでも就航できない状態に嫌気がさしたのか、1月に入ると取締役たちが辞任を表明し、会社自体が立ちゆかなくなる可能性が出てきたのである。ラカタニ首相は新たな投資家を豪州、ニュージーランド、さらにはスイスから獲得すべく精力的にプロモーション活動を行っているが、今後については全く不透明である。
 ニウエ政府は既にこのプロジェクトに30万NZドルを支出しているが、かつてクック諸島政府財政を崩壊に導いた「シェラトンホテルプロジェクト」に比べればまだ傷は浅いともいえる。ラカタニ首相は「年間2000万NZドルの観光収入が確保できる」として依然強気の構えを崩していないが、否応に関わらずここで撤退することになるかもしれない。
 ニウエが国家再建の大ばくちに乗り出すか否か。しばらくはニウエの動きに注目したいところである。
                              

(小川 和美)